2024年9月25日(水)

けっこう涼しい。

  朝まだきにちちろちちろと鳴く虫の下草に隠れ居場所わからず

  下草のおどろが下に鳴く虫のちろろと呼べばちちろと応ず

  けさもまた体幹ゆれて定まらず足弱かさなりふらりふらりと

『論語』顔淵一〇 子張、徳を崇くし惑ひを弁ぜんことを問ふ。孔子が言ふ。「忠信を主として義に徒るは、徳を崇くするなり。これを愛しては其の生を欲し、これを悪みては其の死を欲す。既に其の生を欲して、又其の死を欲するは、是れ惑ひなり。」

  忠・信を経て義にいたるこそ徳をたかめん死を欲するは惑ひなりけり

『春秋の花』 堀宋凡
・雨すぎて蟬の声のみ打しめり客も主も声をひそめぬ 

『茶花遊心』1987所収「しじま」

掲出歌と対の写真の置花の花は、羽衣草、とこなつ、金魚草の三種。
・閑かさや岩にしみ入る蟬の声 芭蕉『奥の細道』 連想するのは歌題「しじま」語句「蟬の声」も共通に由る。
・ゆめどのはしづかなるかなものもひにこもりていまもましますがごと 
                              会津八一『鹿鳴集』

おのづから思い合わせるのは、歌題「しじま」と歌のしらべの相似による。これは「閑寂の相」である。
・大原女は買ふてたもとて京の町三市にゆれて声うすれゆく 堀宋凡

  しみ入りしは蟬の声なり木々めぐり枝にすがりて蟬の鳴く声

実はこの9月25日夜、高熱を発し、救急搬送されました。ほとんど記憶がありません。

そして10月9日に退院しました。それから2週間、やっと今日から「さねさし歌日録」

を再開しようと思います。

2024年9月24日(火)

涼しい。このまま涼しければいいのだが。

  けさもまた体幹ゆれて迷歩するこのざまがいまのわたくしならむ

  封書一通、途中で贖ふ麦茶持ち大山は白き雲に隠るる

  やうやくに朝桃色に明けてくるひかりの中をふらりふらり

『論語』顔淵九 哀公、有若に問ひて曰く、「凶作で費用が足りないが、どうしたものだろう。有若対へて曰く、「いっそ徹(一割の税)になさっては。」「二割でも足りないのに、どうしてまた徹にするのか。」有若対へて曰く、「万民が十分だというのに、殿様は誰と一緒で足りないのでしょうか。万民が足りないというのに、殿様は誰と一緒で十分なのでしょうか。」

  万民の言ふこと聞かねば王に足らず聞く耳をもつことがたいせつ

『春秋の花』 佐藤春夫
・つつましき人妻とふたりゐて/屋根ごしの花火を見る――/見出でしひまに消えゆきし/いともとほき花火を語る。 『我が一九二二年』(1933)所収。『遠き花火』

私の十代後半時代に私が読んで感銘した。それから七十余年後ないし六十年後の今日、依然として掲出詩が私に浅からぬ感動を与えるのは、詩が古びなかったゆえか私が精神的に生長しなかったゆえか。否、それは、詩の魂と私のそれとの双方が少しも老け込まなかったことをこそ物語るにちがいない。
・淫蕩な女が/純潔な詩集を愛読した/純潔な詩集の著者が/淫蕩なその女を愛撫した (四行詩)

  佐藤春夫のこの手の詩には反応せず花火も淫蕩な女もわがものにあらず