2025年1月28日(火)

今日も寒いが、晴れ。

『工藤會事件』を読む。著者の村山治は、元新聞記者らしく期待して読んだのだが、当時の北九州の社会状況や暴力団、検察・警察の動きはよく分かるものの、どこか記録を読んでいるようで、逆に最後の10章、文庫本になるに当たって加えられた11章の「抱僕」の活動がより人間的であり興味深いものに思えてくる。しかし、日本一凶暴であった工藤會を壊滅に追い込むまでを書いたドキュメンタリーはそれなりだ。

  暗黒をゴミの廃棄に行く者を城砦の上に見てゐるわたし

  いまだ闇きに歩みゆく者あちこちにある街路灯に照り

  わたくしが両手にぶら提げプラゴミの袋を二つ廃棄したりき

『論語』衞靈公四 孔子曰く、「由(子路)よ、徳を知る者は(すく)なし。」

  これの世に徳を知る者すくなくて子路とわれとがいま言えるもの

『古事記歌謡』蓮田善明訳 四一 タケウチノ宿禰ノ命 太子に代わって、
この御酒(みき)を (か)みけむ人は     この御酒つくったその方は
その鼓 臼に立てて        鼓を(かも)(し)の臼として
歌ひつつ 醸みけれかも      歌いながらにつくったか
舞ひつつ 醸みけれかも      踊りながらにつくったか
この御酒の            この御酒のめばそのために
あやに(うた)(たぬ)し ささ        無性に楽しくなってくる さあさ(ほ)しましょ神の御酒

  この神酒を作った人は歌いつつ踊りつつ醸す飲めばたのしき

2025年1月27日(月)

いつまでも三日月のような月が残り、寒い。

鳥三態

  ひよどりのつがひうるさく鳴き交はし枝から枝を移りゆくなり

  低き木から電線に飛ぶ寒雀ふっくらふくれうまさうに見ゆ

  朝けからからすは何鳴くかあおと呼ぶは仲間か知れず

『論語』衞靈公三 孔子曰く、「(し)や、(なんじ)(わ)れを以て多く学びてこれを識る者と為すか。」賜対へて曰く、「然り、非なるか。」孔子曰く、「非なり。(わよ)れは一これを貫く。」

今一つ分かりにくいが、あれこれのもの識りよりも、「一」を貫くことの方が大事だということか。

  多くを学び知者となるより一以てこれを貫くことこそ肝要

『古事記歌謡』蓮田善明訳 四〇 神功皇后
この御酒(みき)は わが御酒ならず  太子(みこ)に捧げるこの御酒は 

わたしの造った御酒でなく
(くし)の神 常世に坐す      常世の国に永久(とこしえ)
(いは)立たす 少名(すくなな)御神(みかみ)の     坐す少名の酒神の
神寿(かむほぎ)ぎ 寿ぎ狂ほし      祝いて狂うて酒つくり
(とよ)寿(ほ)ぎ 寿ぎ(もとほ)し       祝い廻って酒つくり
(まつ)り来し 御酒ぞ       (まつ)り持て来た神の酒
(あ)さず(を)せ ささ       重ね(ほ)せ乾せ神の酒

  この御酒は少名御神の神寿ぎ豊寿ぎ献り来し神の酒なり(あ)さず飲め、さあ

2025年1月26日(日)

よく晴れている。

  いつの日かわが手をつなぎ阿弥陀世に実朝よひかりの(きざはし)のぼれ

  紅梅の花には未だ早くして古木の梅の木に近く寄る

  常盤木のきび餅に口を汚しつつ旅の終りを惜しむ妻と吾

『論語』衞靈公二 陳に在して糧を断つ(陳の国で食糧がなくなり)。従者病みて能く(た)つこと莫し。」子路(いか)って(まみ)へて曰く、「君子も亦窮すること有るか。」孔子曰く、「君子(もと)より窮す。小人窮すれば斯に(みだ)る。」

  君子でももとより窮すしかれども小人窮すれば濫れたるのみ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 三九 オシクマノ王オシクマノ王は、将軍イサヒノ宿禰ともに追い詰められ、船に乗って湖水に浮かんで歌った。
いざ(あ)(ぎ)           伊佐比宿禰(いさひすくね)よ 振熊の
(ふる)(くま)が (いた)(で)負はずは     矢傷を受けて死のうより
(にほ)(どり)の (あふみ)海の(うみ)に      淡海の湖の鳰鳥に
(かづ)きせなわ          なって(くぐ)ろよ 波の中

そして、湖に飛び入り、二人とも死んでしまった。

  伊佐比宿禰よ矢傷を受けて死ぬよりも淡海の湖に死なんとおもふ

2025年1月25日(土)

朝は寒いが、次第に気温は上がる。

  浜松の酒に喜ぶわがからだこよひたゆたふごとき心地に

  ホテルの廊下を酔うたるわが(み)のたどりゆく夜にただよふ釣舟の如

  月代にひかりがあれば海のうへ光りの道がわたりゆくなり

『論語』衞靈公第十五 一 衞の霊公、(じん)を孔子に問ふ。孔子対へて曰く、「(そ)(とう)の事は則ち(かつ)てこれを聞けり。軍旅の事は未だこれを学ばざるなり。」明日(めいじつ)遂に行る。
孔子らしいといえば、そう思える。軍のことを尋ねるということは、衞も軍備に重くなるということ。だから、そのあくる日に衞から去ったのだ。

  軍旅を問ふ衞の霊公にあやふさを感じあくる日に去る

『古事記歌謡』蓮田善明訳 三八 ヤマトタケルノ命の后や子どもたち
白鳥が飛んで磯にいる時に、
浜つ千鳥 浜よ行かず     浜千鳥は浜行かず
磯伝ふ            磯伝いゆく追いにくさ

この四つの歌は、みなその葬礼の時に歌った。いまでもその歌は天皇の大喪に歌うことになっている。行ってくれるなという思いが、こうした歌にあるのだろう。

  浜つ千鳥も飛ばずに磯を追ひゆくにその追ひにくさ言い難きもの

2025年1月24日(金)

今日また晴れる。

  宿の湯に上着、下着と脱ぎすててさらされてある男の正体

  軀の疲れ少しはなごむか露天湯にしばしは深く沈みたりけむ

  夜の宿の無人の廊下をひたひたとボトルに水を充たして返る

『論語』憲問四六 闕黨の童子、命を将なふ。或るひとこれを問ひて曰く、「益者か。」
孔子曰く、「吾れ其の位に居るを見る。其の先生と竝び行くを見る。益を求むる者に非ざるなり。速やかに成らんと欲する者なり。」

闕の村の少年を進境を目指す者か聞いたところ、孔子は進境を求める者ではなく、早く一人前に成りたいのであろうということだ。

  闕の国の童子についてかく申す益者にあらず速やかに成らむ

『古事記歌謡』蓮田善明訳三七 ヤマトタケルノ命の后や子どもたち。
また、海の中に入って、行き悩みつつ、
海処(うみとが)行けば 腰(なづ)む       海行けば 腰を侵して
大川原(おおかはら)の 植草(うゑぐさ)         川草の もまるるごとく
海処は いさよふ        波に揺れ 足は進まず

  海処ゆけば腰なずみ川原の藻にもまるるやうに揺れて進まず

2025年1月23日(木)

晴れてます。

宇野千代『青山二郎の話・小林秀雄の話』。中央文庫による新編集である。青山二郎については、このグループの中心人物と思われつつ、その正体をあまり知らなかったので、この小説ともエッセイともいえる宇野千代の文章がなるほどと思わせ、おもしろかった。しかし、時代が違うものの、私がその仲間に入ることは、到底無理だろうし、仲間になりたくもない。

  走湯山伊豆権現へかけのぼるその力疾うに失はれたり

  初島も近くに見えて便船に揺られて熱海にかよふ者あり

  右大将実朝もよろこぶ時やある月煌々と海しづかなり

『論語』憲問四五 原壌、夷して俟つ。孔子曰く、「幼にして孫弟ならず、長じて述ぶること無く、老いて死せず。是れを賊と為す。」杖を以て其の脛を叩つ。
孔子のふるなじみでろくでなしの原壌が立膝で坐って待っていた。孔子は、幼い時はへりくだらず、大きくなってもこれというほどのこともなく、年よりまで生きても死にもしない。こんなのが人を害する賊なのだ。といって杖でその脛をたたいた。

  原壌はそれほどにるくでもない奴か孔子珍しくきびしき扱ひ

『古事記歌謡』蓮田善明訳三六 ヤマトタケルノ命の后や子どもたち
(あさ)小竹原(じぬはら) 腰(なづ)む      (あさ)小竹原(しのはら)に行き悩み
空は行かず 足よ行くな   空行くどころか 足までも

ヤマトタケルノ命の魂は、大きな白い鳥となって空に舞い上がり、浜に向かって飛び去った。

  篠竹の切株に傷つけられても大きな白き鳥を追ひたる

2025年1月22日(水)

薄曇りで、寒い。

  一本の桜を植うる露天湯を囲る季節の植栽もある

  露天湯に立てば見下ろす海の道夜の月代は波動も映す

  釣舟を幾艘かうかべ昼の海波少しあり揺り揺られをり

『論語』憲問四四 子路、君子を問ふ。孔子曰く、「己を脩めて以て敬す。」子路曰く、
「斯くの如きのみか。」孔子、「己を脩めて以て人を安んず。」子路、「斯くの如きのみか。」孔子、「己を脩めて以て百姓を安んず。己を脩めて以て百姓を安んずるは、堯・舜も其れ猶諸れを病めり。」

  なかなかに子路はしつこく孔子に問ふ己を脩めることの難さを

『古事記歌謡』蓮田善明訳 三五 亡きヤマトタケルノ命の后たち
(な)(つ)きの田の (いな)(がら)に      (はか)のめぐりに靡きつぅ
稲幹に (は)(もとほ)ろふ      田の稲茎に 稲茎に
(ところ)(かずら)            薢葛は匍いまとう

  ヤマトタケルの陵墓のめぐりに靡きつき匍ひもとろふる后ら泣けり