2024年6月11日(火)

朝から天気がいい。暑いほどに気温が上がっている。

『新編同時代の作家たち』広津和郎作・紅野敏郎編(岩波文庫)を読む。大正文壇の様子がいきいきと、そして興味ぶかく記される。宇野浩二、そして芥川龍之介の自死、島村抱月の頼りなさ、他、田山花袋・菊池寛・大杉栄・葛西善三・相馬泰三・牧野信一・小出楢繁・直木三十五・三上於莵吉・正宗白鳥・志賀直哉が取り上げられる。いずれも、それぞれの文人の奇知を捉えて極めて面白い。

  夏の影は濃くして妻の前にある影ふむやうに妻が出かける

  あけぼの杉の影も西側に伸びてゐるその影の中妻が通過す

  木が違ふ木を(をろが)みて違ふこと気ちがひならむわれに狂あり

『論語』泰伯一四 孔子が言う。「其の位に在らざれば、其の政を謀らず。」

意外なほどに謙虚な孔子である。

  その位にあらざれば政務に謀らず孔子言ふこの謙虚さは孔子のものなり

『正徹物語』159 「祈る恋」の題では、どの神でも詠んでいい。「年もへぬいのるちぎりは初瀬山(をのへの鐘のよその夕暮・新古今1142)」と定家も詠んだので、仏に祈ってもよい。摂政藤原良経の「いく夜われ浪にしほれて貴船川(袖に玉ちる物思ふらむ・新古今1141)」という和歌は、貴船社には夜参するので「いく夜われ」と詠んだ。

  長谷寺の観音像に祈りたり鐘うつときをその時と決め

『伊勢物語』百九段 大切な人を亡くした友へ、男が詠んだ。
・花よりも人こそあだになりにけれいづれをさきに恋ひむとか見し

  さくら花散るときを死ぬる人やある人こそ恋ふる花よりもなほ

2024年6月10日(月)

朝から雨だが、午前7時過ぎには上がった。けれども当分は曇りらしい。

  どんよりと雲重くなる昼つ方阿弥陀が救ふいのちありけむ

  救はれざるわれにしあらむ地獄の底に彷徨ひ血まみれなりき

  まはだかに剝かれて閻魔を前にして懺悔したりき許されざるか

『論語』泰伯一三 孔子の言。「篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くす(命がけで道をみがく)。危邦には入らず、乱邦には居らず。天下道あれば則ち見れ、道なければ則ち隠る。邦に道あるに、貧しくして且つ賤しきは恥なり。邦に道なきに、冨みて且つ貴きは恥なり。」

君子の道も、なかなか厳しい。

  学を好み命がけに道をみがく危邦に拠らず乱邦には行かず

『正徹物語』158 「停午の月」とは、天空の中央にある月のことだ。何日の月であっても、天空の中央にある月は、みな停午の月である。

  みんなみの空に停午の月やある満月なればかがやきわたる

『伊勢物語』百八段 恋人の薄情を恨み女が詠んだ。
・風吹けばとはに波こす岩なれやわが衣手のかはくことなき

と女が口癖のように言っていたのを、男はそれは自分のことだと、女に返した。
・宵ごとにかはづのあまた鳴く田には水こそまされ雨は降らねど

  心では泣いてますよと暗示して男は詠めり思ひとどくや

2024年6月9日(日)

朝から曇り。ずっと夜まで曇って雨になるらしい。鬱陶しいが、意外と涼しい。

  花々を落してさみどりの色かがやく躑躅、皐月のいのちの色なり

  あけぼの杉のさみどりの葉々を揺らしたる中庭とほる風やありけむ

  さみどり色に木々のかがやくときならむさつき、みなづきすぎてゆくなり

『論語』泰伯一二 孔子の言。「三年学びて穀に至らざるは、得やすからざるのみ。」

「穀」は俸禄の意。つまり三年学んで仕官しない人は、得がたいものだ。

  三年を学びて仕官せざること得がたしといふさらに学ばむ

『正徹物語』157 「山に寄する恋」という題で、このように詠んだ。
・逢坂の嵐をいたみ越えかねて関のと山に消ゆるうき雲

ある者が「この歌は、恋の歌のように思えない」と言ったとか。そこで「このように風の歌として詠みならわしているものであります」と答えられたとか。邪魔者を風に見立てて恋歌を詠むではないかとう弁解らしい。

  さみどりの山に寄せたる思ひあり雲がくるとも消ゆるぞ雲は

『伊勢物語』百七段 高貴なる男がいた。その邸にいる女に、内記(中務省の役人)である藤原敏行が求婚した。女はまだ若く、文も、言葉もつたないし、ましてや歌など作れない。そこで男が代りに歌の下書きを書いて、その歌を敏行に届けた。敏行は感じ入った。そしてこう詠んだ。
・つれづれのながめにまさる涙川袖のみひちて逢ふよしもなし

男は、ふたたび女に代わって返した。
・浅みこそ袖はひつらめ涙川身さへながると聞かば頼まむ

返歌を読み、敏行はさらに感じ入った。以来ずっと、今に至るまで、文を巻いて文箱にしまってあるということだ。敏行と女が情をかわした後に、敏行はまた文を出した。
「あなたのところに行きたいのですが、雨が降りそうで心配です。私に運があるのでしたら、きっと雨は降らないでしょう」男は、また女に代わって詠んだ。
・かずかずに思ひ思はず問ひがたみ身を知る雨は降りぞまされる

歌を読み、敏行は、蓑笠を用意する間もあらばこそ、濡れながら、あわててやってきたのだった。

  これこそが歌の力か敏行は雨に濡れても女のもとへ

2024年6月8日(土)

朝からいい天気で、暑い。

  夏つばきの白き花には朝のひかり清浄の花かがやくばかり

  夏つばきの落せる花の腐れたるが苔庭なればそこ愛らしく

  木が違ふ木を拝むとき気が違ふ気ちがひならむわれに狂あり

『論語』泰伯一一 孔子が言った。「たとひ周公ほどの立派な才能があっても、傲慢で物惜しみするようなら、そのほかには目を止める値打ちもなかろう。」

  周公の才の美あれど驕りかつけちなれば余が観るにたらず

『正徹物語』156 「短夜の月」という題で、このように詠んだ。
・水浅き蘆間にすだつ鴨の足のみぢかくうかぶよはの月かげ 草根集3168

鴨の足というのは、和歌には趣向が奇抜すぎるようだが、短という題の字に主眼を置いてこのように詠んだ。

  夜の短き夏になりけりまう鴨はとびたちしかな跡形もなし

『伊勢物語』百六段 むかし男、親王たちの逍遥し給ふ所にまうでて、龍田河のほとりに詠んだ。
・ちはやぶる神代も聞かず竜田河からくれなゐに水くくるとは

  いまははやからくれなゐにもみぢ染め枕詞の役目はたしき

2024年6月7日(金)

今日もいい天気だ。暑くなりそうである。

ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』読了。トマーシュとテレザの愛の物語のようにも見え、また「プラザの春」を壊滅させたソビエトの苛烈さを背景に、ここにも物語がある。トマーシュは、まるで光源氏の諸向き心の持ち主のような色好みの男であり、テレザは直向き心の持ち主である。『源氏物語』の現代版のような、しかし深刻な感じの物語であった。むかしむかしDVDを借りて映画を観たことがある。もっと分かりやすい印象を持っている。背景にソビエト侵攻をもちながら愛が際立っていたような。緑の色彩が深く頭に残っている。

  夏つばきの清浄の花あまた咲く白きその花この夏の花

  白き花芯のところは黄色くてみどりの葉に映ゆ夏つばきの木

  昨年は葉ばかり繁り花着けぬこの夏つばきことしは花咲く

『論語』泰伯一〇 孔子が言った。「勇を好みて貧しきを(にく)むは、乱なり。人にして不仁なる、これを(にく)むこと(はな)(は)だしきは、乱なり。」

  まつりごとの難しさ説く孔子なり勇武、不仁はにくむべきなり

『正徹物語』155 「河に寄する恋」という題で、こう詠んだ。
・あだにみし人こそ忘れやす川の浮き瀬心にかへる浪かな

「浮き瀬心にかへる浪かな」という第五句がよい。うきことは、いく度もわが心にちゃちゃっとかへる物なり。「ちゃちゃっと」は、すみやかにの意。

  不実なるであひせし人忘れがたし憂きことちゃちゃっと心にかへる

『伊勢物語』百五段 「このままでは死んでしまいます。」と言った男がいた。」女は、
・白露は消なば消ななむ消えずとて玉にぬくべき人もあらじを

と詠んだ。なんとつれないと男は思う。けれど女への気持ちは、いっそう募るのだった。

  つれなくさるる女を思ひされどされど恋してやまずこの女こそ

2024年6月6日(木)

朝から晴れて、爽やかな日である。6月6日だけど、雨ざあざあではない。

  相模川橋梁を厚木へ辿る清流あれば鮎も育つか

  川辺には鮎を目ざして幾人か川の深みへ入りゆかむとす

  棹先にひかりのやうな鮎のをどるまんまと胴に針を引っ掻け

『論語』泰伯九 孔子が言った。「人民を従わせることはできるが、その理由を知らせることはむつかしい。」

  民これに由らしめることは難からずその理由を知らせる難しきこと

『正徹物語』154 千五百番歌合(1202年頃)の時分は、家隆の歌は世間に知られていない。」

  後鳥羽院の時には家隆知らぬといふ然あれこの時期こそ家隆に名あれ

『伊勢物語』百四段 尼になった女がいた。出家した理由は分からない。女は、尼であるにもかかわらず、賀茂の祭に心ひかれ、見物にでかけた。その尼に。男が歌を詠んだ。
・世をうみのあまとし人を見るからにめくはせよとも頼まるるかな

尼は、元斎宮であった。こんなことを言ってくる男がいたので、斎宮は見物をやめて帰っていったという。

  尼になりし正体を知るをとこなり賀茂の祭の見物いかが

2024年6月5日(水)

朝からいい天気である。

  存在の耐へられない軽さに遊弋し街を俯瞰すプラハの街を

  藤原定家の歌の本歌取り、類歌を探り巧みなり安東(あん)次男(つぐ)の書は

  宇野浩二の狂、芥川龍之介の自死への道。広津和郎が詳しくしるす

「かりん」の下村道子さんが亡くなった。私が、歌をはじめた頃、その歌に影響された。「かりん」6月号に追悼されている。「下村道子作品抄(田村広志選)」

  ・ほんだわら踏めば小さき音のする幼き恋のありし浜辺に

  ・地図に見る二センチの距離望郷の思いにかおる菜の花畑

  ・ほの青き切符にのせて発たしむる遊離魂雪ふるかなた

  ・ねじひとつ転がして知る秋近き実験台の下のゆうやみ

  ・胸のごときふくらみをもつフラスコのかすか陰りて風の音する

  ・嶺岡の山吹きおろすからっ風わが哀しみの内側を剝ぐ

  ・優れたる論とは思わねど論文の数にて量られる身のために書く

  ・教授・助教授・助手の感情閉じこめていずれのドアも無表情なり

  ・食にまつわる悲しき歴史語らえば静まりて深海のごとき教室

  ・見えぬ色を分光光度計で測りいる思えば信じていることに似て

  ・筵巻きのお仙を落としし断崖に村人は悔いて地蔵遺しし

  ・白鷺は一本足にて川に立つ白磁のようなからだ支えて

  ・ひっそりと母の通夜する梅洞寺夜の気凍りて霜となる音

  ・悲しまざるというにあらざり穏やかな父の死に顔 ごくろうさまと

  ・リハビリに精出し歩き絵を描くといいにし二日後君は逝きたる

  ・アトリエにスーツ一着掛けおき帰ることなき人に帰せたく

  ・ふくろうの鳴く谷戸に住み見定めん一人になりしわれの時間を

  ・かたわらにありたる人は風となり大夕焼けに向かうとき来る

  ・かの夜にて母はその母と会いたるか春近き日の山は霞めり

  ・寄せてくる芒の穂波しなやかに輝きて晩年の光となりぬ

 ということで『論語』以下はお休みです。