2024年6月25日(火)

頭が痛い。

  泥つきの葱持ち帰る泥つきの葱を洗ひてようよう食べる

  泥つきの葱坊主洗ひ忘れずにこの白葱こそは甘きものなり

  買物の袋は忘れずに入れてくるパン、豚肉、牛忘れずに

『論語』子罕七 牢(孔子の門人)が言う。「孔子がいう、私は世に用いられなかったので芸がある」といわれた。

  牢がいふ孔子はわれを用いざれば故にわが手のうちに藝ありといふ

『正徹物語』173 「残月に関を越ゆ」という題を、世間は誤解している。「残月関を越ゆ」と読んで、月が関を越えると理解するのはまずい。月の下、人が越える状況である。そういう訳で「残月」と読むのである。

  残月の関越えるにはむずかしく月のしたなんか残月を詠む

『伊勢物語』百二十三段 深草に住んでいた女のもとへ、男が通っていた。けれど、段々に飽きてきたのだろう、こんな詠んだ。
・年を経て住みこし里を出でていなばいとど深草野とやなりなむ

女は返した。
・野とならば鶉と鳴りて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ

女のこの歌を読み、男は女をいとおしく思った。
そして、女のもとからは去らなかった。

  男に少しは愛すべき女には愛ほしついにはなれがたきぞ

2024年6月24日(月)

朝は涼しいが暑くなる。雲が多いのだけれども。

  杏の木に杏の花見ず果実喰ふことしの木の実大きかりけり

  長野より妻持ちかへる杏の実ことしはいたく太りたるもの

  だいだい色の杏子の果実を齧りをり信濃の国の杏をかじる

『論語』子罕六 太宰が子貢に問うた。「夫子(孔子)は、聖者か。何ぞ其れ多能なる。」子貢がいう。「もとより天の許した大聖であり、その上他の多能である。」孔子は、これを聞いて、「太宰は私のことを知る人だね。私は若い時には身分が低かった。だから、つまらないことがいろいろできる。君子、多ならんや。多ならざるなり。」

  聖人といはれるにさてさうではないと孔子いふなり鄙事に多能は

『正徹物語』172 歌には秀句が大事である。定家の未来記も秀句について書いたものだ。雅経が「やく塩の辛かの浦」などと詠んだのが秀句である。

  塩を焼くからかの島に雨が降るかなたも見えぬ海霧ふかく

『伊勢物語』百二十二段 女と夫婦になる約束をしたのに、女は約束を違えた。男は女に詠んだ。
・山城の井出の玉水手にむすびたのみしかひもなき世なりけり

女は返事もしなかった。
まぁ、できないわな。

  井出の水に手をむすびあふふたりなりたのみしことも甲斐なかりけり

2024年6月23日(日)沖縄慰霊の日

朝から雨。昨夜から降っている。
葉室麟『峠時雨』を読んだ。時代小説は、ひさしぶりだ。時代小説は、やっぱりいいなぁ。そこでやめておこう。愛情あふれる小説は、自分で読むよりない。

  梅雨に入る後の雨なり激しくも道路を走る自動車(くるま)のひびき

  JR相模線が雨中を走る音がするいつもより少し重き音にて

  薄ら寒き雨の日なれば路線にははげしき雨ふる窓に見てをり

『論語』子罕五 孔子が、匡の地で危険にあった時に言った。「文王は既に亡くなられたが、その文化はここに伝わっている。天がこの文化を滅ぼそうとするなら、後代の私はこの文化に携われれないはずだ。天がこの文化を滅ぼされないからには、匡のごときが、私をどうしようぞ。」

  匡の地に孔子襲はる孔子言ふ「匡人其れ(わ)れを如何」と

『正徹物語』171 「あまぎる」は曇りである。「目きりて」「涙きりて」などというのも同じである。

  あまぎるは曇天の意。目きりて、涙きりても同じきなり、うん?

『伊勢物語』百二十一段 梅壺から、女が雨に濡れて出てくるのを見て、詠んだ男がいた。
・うぐひすの花を縫ふてふ笠もがな濡るめる人に着せてかへさむ

すると女は返した。
・うぐひすの花を縫ふては笠はいな思ひをつけて乾してかへさむ
男の負けだな。

  うぐひすの花を縫ふては笠こさふるその笠乾してきみにかへさむ

2024年6月22日(土)

朝から青天。涼しいが、暑くなる。

  涼しきうちにあらゆることを済ませておこふわが家のゴミのけふは少なき

  ゴミ袋をぶらさげてあけぼの杉の樹下をゆく少し影濃しその影踏みて

  皐月つつじの花の残骸木に付きてどうもけがらはし垣なすみどり

『論語』子罕四 孔子は四つを絶った。意(勝手な心)を持たず、必(無理押し)をせず、固(執着をせず)なく、我(我を張る)なし。」

  孔子は意を持たず、必せず、固なく、我なしすばらしきなり

『正徹物語』170 「卯月の郭公」という題で、こう詠んだ。
・時鳥おのが五月を待つかひの涙も滝もこゑぞすくなき

『伊勢物語』の「我が世をば今日か明日かと待つかひのなみだの滝といづれ高けん」とは、行平が、鼓の滝を見て詠んだ歌だ。それを時鳥の涙の滝に取り替えたので、趣向が新しくなった。このように少しは変えないと歌は詠めない。「待つかひ」とは待つ間である。間の字を書く。

  卯月すぎて時鳥鳴くときを待つ滝のまへ落つる水ながれゆく

『伊勢物語』百二十段 男が好きになった女は、まだ世経ずとおぼえたるが、そうではなかった。さる高貴な男と、ひそかに情をかわしていた。それを知った男は、しばらくして詠んだ。
・近江なる筑摩(つくま)の祭とくせなむつれなき人の鍋の数見む

  近江なる筑摩の祭を見むとするどれだけ鍋を被り出でしか

2024年6月21日(金)

朝から雨。けっこう激しい。
柚月裕子『チョウセンアサガオの昨く夏』読了。柚月には珍しい十一の短編集だがそれぞれに怖いのだが、運命、そして涙がある。読みがいのある一冊だった。

  北からの風に押されて歩きゆくがたぼこ道を背中押されて

  北風になぶらてゐる老いのすがた前傾ふかくうつむきかげんに

  風吹けばゆくり歩むがここちよし新緑の木々のゆたかな葉々に

『論語』子罕三 孔子が言った。「麻の冕(冠)が礼である。この頃絹糸にしているのは倹約だ。そこで私は皆に従おう。主君に招かれたとき堂の下に降りて拝するのが礼である。この頃上で拝するは傲慢だ。皆とは違うけれど、私は下に従う。

  拝礼のときの冠みな絹なりその倹約にわれは従ふ

  拝礼のときは下より拝謁する上で礼することは傲慢

『正徹物語』169 「夢に寄せる恋」という題で、このように詠んだ。
・涙さへ人の袂に入ると見し玉とどまらぬ夢ぞうきたる

若紫の巻であろうか、紫の上が、まだ幼くていますのを光源氏が妻に迎えた時に「玉藻なびかん程ぞうきたる」と乳母が詠んだのは、まだ幼稚な年ごろの人を迎えても、生涯一緒に居られるであろうか、あるいは嫌われる性分なのかもわからない、それなのに妻に迎えてかしずいておくのは、なるほど頼りないことである。このような不安を「玉藻なびかん程ぞうきたる」と詠んだ。さて、私が「夢ぞうきたる」と詠んだのも、自分の魂があの人の袖の中へ飛んで入ったと夢に見るが、そのままとどまってはいられないので、我にかえるのだ。それで「玉とどまらぬ」と言っている。自分の魂が人の袂に入ると見ても、夢から覚めればもう帰っている。夢を詠むのに「見る」「覚むる」と言うと、手垢がついてよくない。「入ると見し」と言ったとことで、夢を見たという内容は感じられるので、「覚むる」と言わなくても、「玉とどまる」と言えば、もう夢から覚めたということは分かる。袖に入ると見たのにとどまらないので、 夢は頼りなく浮遊しているのである。

  たましひの袖に入るとぞ見てしよりわが夢ぞ浮くかなしかりけり

『伊勢物語』119段 浮気な男が、形見といって残った品々を見て、女は詠んだ。
・形見こそ今はあたなれこれなくは忘るる時もあらましものを

  形見にと残せしものを見ればこそ君を思へり無ければよきに

2024年6月20日(木)

今日も朝から天気はいい。暑くなりそうだ。

徳田秋聲『足迹』を徳田秋聲記念館文庫にて読む。『黴』の前編にあたる小説だが、ようやく手に入れ読むことができた。なかなか既存の文庫本が手に入らず金沢の徳田秋聲記念館で刊行しているのを知って、『仮装人物』や『縮図』とともに手に入れた。そうして『足迹』を読むことができたのだが、はま婦人をモデルにしたというお庄が、じつに魅力的なのだ。いらぬこともするのだが、そんなことも気にしつつ、ある意味破天荒な姿はいきいきしているではないか。そしてその文体の穏やかさ。いいですねえ。

  梅ジュース一杯にけふがはじまらむ雨後のみどりの濃きこの時に

  濃みどりにさみどり色の木々の葉つまっさかりなり夏立つならむ

  真みどりのあけぼの杉の真下より仰ぐ木の葉のさゆらぎてゐる

『論語』子罕二 達巷の村の人が言った。「大なるかな孔子は、広く学びて名声をもたない。」孔子はこれを聞いて、門弟子に言った。「私は何をやろう。御車をやろうか、弓をやろうか。私は御車をやろう。」

  達巷の人大なるものかな孔子なり言はれてあげくわれは御車と謂ふ

『正徹物語』168 「郭公を待つ」という題で、このように詠んだ。
・年もへぬ待つに心はみじかくて玉のをながき時鳥かな 草根集3202

「玉のをながき」は、私のことだ。七十歳まで生きてきたので「玉のをながき」ということになる。毎年、郭公は待つものなれば、「年をへぬ」と詠んだ。このように詠んで、何の役に立つかとは思うけれど、類想歌は詠むまいと努めるため、薮山をかき分けて進むかのように苦労して詠んでいます。

  郭公(ほととぎす)の鳴くときを待ち年を経ぬ待ちかねて去るときもありけむ

『伊勢物語』百十八段 長いあいだ便りもせずにいた女のところに、「忘れてなどいませんよ。これから伺います。」と男が言ってきた。女は詠んだ。
・玉かづらはふ木あまたになりぬれば絶えぬ心のうれしげも
男を詰ってます。

  長くひさしく女のもとを訪れずいいわけをする男は入れず

2024年6月19日(水)

朝から青天。雲がない。

  キャベツ畑にてふてふ二頭まひをどるからみあひつつまた離れつつ

  キャベツ畑のうへとぶ白き蝶二頭上になり下になり踊るがごとく

  いつのまにか消えたる蝶、のゆくへ追ふ天上たかく浄土の方へ

『論語』子罕一 「子、罕に利を言ふ、命と仁と。」
孔子は、利益と運命と仁とのことは殆ど語らなかった。

  利と命と仁については多くを語らず孔子の思ひはここにこそあり

『正徹物語』167 「首夏の藤」という題で、こう詠んだ。
・夏来ても匂ふ藤波あらたへの衣がへせぬ山かとぞみる 草根集3264

万葉集に「荒栲の藤江」と詠んでいる。藤の花の房は、木の根はあらあらとして、しかも妙なるものなれば「荒栲の藤江」と言った。
「荒栲の衣」と詠んだことはまずない。私が初めて詠んだ。「白妙の衣」という句も、白く妙なる衣ということなので、「荒栲の衣」と詠んでもさしつかえないだろう。

  荒栲の衣と詠める歌少なし正徹の自慢ここにきはまる

『伊勢物語』百十七段 昔、帝が住吉に行幸した。帝は詠んだ。
・われ見ても久しくなりぬ住吉の岸の姫松いく代経ぬらむ

すると、住吉の大御神が姿をあらわし。
・むつましと君はしら波瑞垣の久しき世よりいはひそめてき

  帝のこと幾代もいはひ神をりぬ住吉の大御神すがたあらはす