2024年7月2日(火)

朝雨だったようだが、目覚めたころには曇り、そして晴れ。今日も暑くなりそうだ。

  二月ぶりくらゐ診察に病院へタクシー予約してをくお大臣さま

  わづかなる距離なれど歩行ままならずタクシーを使ひメディカルまでを

  タクシーの予約料金莫迦にならずされど変へがたし軀の弱りには

『論語』子罕一四 孔子が「九夷(東方未開の地)に居らんと欲す」と言ったところ、或る人が「むさくるしいが、どうでしょう」と言った。孔子は「君子がそこに住めば、何のむさくるしいことがあるものか。」と答えた。
東方未開といえば、日本という可能性は、まあなかっただろうな。

  いづこへも孔子居られず九夷へと住まんとしたり何ぞいやしき

『正徹物語』180 「晩夏」の題は、暮春・暮秋などと同じで、終わりの夏という意である。暮夏というのは耳障りであるので、晩夏という。

  暮夏といふ語は聞きにくくして晩夏といふ暮春・暮秋の語あればこそ

『百首でよむ「源氏物語」』第六帖 末摘花 恋のどたばた。恋の失敗が描かれるが歌を詠む光源氏。
・懐かしき色ともなしになににこの末摘花を袖に触れけむ 光源氏

  こんなこともあるさとおもふ恋の道むずかしきもの女を探るは

2024年7月1日(月)

今日から7月だ。もう半年が過ぎたのだ。はやい。

けふ行くは河原口郵便局10月の値上げの前に絵はがきを出す

10月に値上げするべき郵便局スマートレター10枚を買ふ

赤い口ひらいてポスト佇める郵便局はまるで魔界ぞ

  『論語』子罕一三 子貢が言った。「ここに美しい玉があるとします。箱に入れてしまいこんでおきましょうか、よい買手をさがして売りましょうか。」孔子は言った。「売ろうよ、売ろうよ。私は買手を待っているのだ。」

美玉あればこれ沽らむかな沽らむかな買手をさがす孔子にてあり

  『正徹物語』179 

  ・鶯の声の匂ひをとめくれば梅さく山に春風ぞ吹く

  それほど遠くはない集の歌なり。匂いということは、どんなものにあってもよい。匂いは事物の用であるからである。

匂ひとは事物の実体なににてもあるべきならむ鶯の声

  『百首でよむ「源氏物語」』第五帖 若紫  まだ子どもの若紫を見初める光源氏がいる。

  ・手に摘みていつしかも見む紫の根に通ひける野辺の若草 光源氏

  ・ねは見ねどあはれとぞ思ふ武蔵野の露分けわぶる草のゆかりを 光源氏

  ・かこつべきゆゑを知らねばおぼつかないかなる草のゆかりなるらむ 若紫

紫のゆゑにありしぞ藤の縁いつかはわれのものと育てむ

2024年6月30日(日)

曇り。水無月祓である。

米澤穂信『インシテミル』は、なんとも不思議な、そして定番のミステリイであった。ようやく読み終えることができた。解説を除いて513ページある。

  昨夜降る雨に下垂るあけぼの杉葉々しほらしく幽霊のごと

  幽霊の手を下げるさま真似たるかあけぼの杉の萎れたるさま

  皐月つつじさんざんに枝刈られたり葉のなきところすかすかの枝

『論語』子罕一二 孔子の疾、病なり。子路は門人を臣たらしむ。病、間なるときに孔子が言った。「長いことだね。由の詐りを行なうや。臣なくして臣ありとする。吾れ誰を欺かむ。天を欺かんか。且つ予れ其の臣の手に死なむよりは、むしろお前たちの手で死にたいものだ。立派な葬式はしてもらえなくとも、道端でのたれ死になどするものか。」

  ひとたびは孔子治りてよからむか子路の(いつわ)り孔子を重くす

『正徹物語』178 「人妻を憑む恋」とは、他人の妻に懸想することである。源氏物語の空蟬・浮舟などが題材としてよいであろう。
・身をうぢと憑み木幡の山こえて白浪の名を契りにぞかる 草根集4543
と詠んだ。

  宇治に潜むをみなのもとへ木幡山越えてゆきけり恋ほし恋ほしき

『百首でよむ「源氏物語」』第四帖 夕顔
・心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花 夕顔
・寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔 光源氏
 夕顔をとり殺してしまった物の怪、六条御息所だろうか。
・過ぎにしもけふ別るるも二道に行くかた知らぬ秋の暮れかな 光源氏
 空蟬は、夫に従い伊予に下ろうとしているし、夕顔は死なせてしまった。

  死なせたる夕顔おもひわが手より離れし空蟬をおもふ秋なり

2024年6月29日(土)

朝、小雨。後曇り。今日は妻が64歳になる日だ。

  生誕の日を寿ぎての贈り物ただのチョコレート感謝のしるし

  ほほ笑みてチョコレート口に含みたり甘さが溶けて至極の味なり

  お互ひに年経たるものいつのまにか老婆、老爺に化けて出るごとし

『論語』子罕十一 顔淵、喟然として嘆じて言った。「仰げば仰ぐほどいよいよ高く、きりこめばきりこむほどいいいよ堅い。前方に認められたかと思うと、ふいにまたうしろにある。夫子(孔子)は、順序よく巧みに人を導き、書物でわたしを広め、礼にてわたしを引き締めて下さる。やめようと思ってもやめられず、もはやわたしの才能を出し尽くしているのだが、まるで足場があって高々と立たれているかのようで、ついてゆきたいと思っても手立てがない。」

  顔淵はもうお手上げの状態に孔子は遠く天の上なる

『正徹物語』177 二十首・三十首のように、数の少ない続歌を詠むには、構成を練って詠ませるようにするため、結題を出し、五十首や百首など、歌数を多く詠むときは、一字題・二字題を出すのがよい。

  二、三十首は数は少ない五十首・百首は数多いそれほど違ひがあるとは思へず

『百首でよむ「源氏物語」』第三帖 空蟬
・空蟬の身を変へてける木のもとになほ人がらのなつかしきかな 光源氏
・空蟬の羽におく露の木がくれて忍び忍びに濡るる袖かな 空蟬

  人がらのなつかしとこはれ忍び忍び濡らす涙を見つめられをり

2024年6月28日(金)

朝から雨、それも激しい雨だ。

  昨夜よりの雨はげしくも降り来たるこの雨中をゆくゴミ捨てにゆく

  雨に濡れて下垂るあけぼの杉の葉を振り返り見るその水びたし

  皐月つつじの枝繁りあふ垣の間のそこ濡れてあれば入りがたきぞ

『論語』子罕一〇 孔子は、斉衰の喪服をつけた人と、冕の冠に装束した人と、そして目の悪い人にあうと、見かけたときにはどんなに若い人でも必ず立ち、そばを通り過ぎればきっと小走りになった。

  斉衰(しさい)の者、(べん)衣装(いしょう)の者、瞽者(こしゃ)見れば孔子立ちあがる、必ず走る

『正徹物語』176 「在所を隠す恋」とは、相手が居場所を隠すのである。つまり居場所を隠される。「厭ふ恋」も「忘るる恋」も、「厭われる」「忘れられる」である。こうした題は、みな「被」という字を添えて理解するのがいい。

  嫌はれて在所も知らせぬ女がゐるなんともしがたしそのつれなさよ

『百首でよむ「源氏物語」』第二帖
・つれなきをうらみも果てぬしののめにとりあへぬまでおどろかすらむ 光源氏
・身のうさを嘆くに飽かで明くる夜はとりかさねてぞねも泣かれける 空蟬
・帚木の心を知らで園原の道にあやなくまどひぬるかな 光源氏

  近寄ればはなれてゆくか空蟬のつひのおもいにまどふわれなり

2024年6月27日(木)

曇り空だ。

  朝からピーチュピチュと鳴きたるは(ひよ)が似合いの相棒さがす

  このさきに(ひよ)の相棒うづくまるピーチュと鳴けばピーチュと応ず

  枝ごとに花の残滓を付けたままそのまま育つどこか汚れて

『論語』子罕九 孔子が言う。「鳳鳥至らず、河、図を出ださず。吾れ已んぬるかな。」
鳳凰は飛んでこないし、黄河からは図版も出てこない。私もおしまいだね。

  現実に鳳凰飛びこず黄河から図版もいでず我もをわりか

『正徹物語』175 寝起きなどに定家の歌を思い出してしまうと、物狂になる心地がする。屈折して巧緻な風体を詠むことでは、定家の歌ほどのものはない。こういう名人の歌は、詞の外にかげがそひて何となくうち詠ずるに哀れに覚ゆるなり。六百番歌合の「猪に寄する恋」という題で、このように詠んだ。
・うらやまず臥す猪の床はやすくとも嘆くも形見ねも契りを

その意は、昼は一日中恋慕して悲しみ、嘆くことが恋人の形見である。夜も一晩中まんじりともしないので心を砕くのも、前世からの宿縁であるから、私は猪が床に臥してすやすやしているのも羨ましくはない、というのである。本当にしみじみとする内容だ。
・友千鳥袖の湊にとめこかしもろこし舟のよるのねに覚に

といえるは、
・おもほえず袖に湊のさわぐかなもろこし舟のよりしばかりに
という伊勢物語の和歌を本歌にして詠んでいる。

  定家の歌に伊勢物語を詠みこみし一首ありけり港にさわぐ

『百首でよむ「源氏物語」』第一帖 桐壺(きりつぼ)
・限りとてわかるる道のかなしきにいかまほしきは命なりけり 桐壺更衣

  あはれよの死にするときのとほからず光源氏をはぐくむことも

2024年6月26日(水)

朝は涼しいが、すぐ暑くなる。朝からクーラーである。

  花が萎れて皐月つつじの枝さきにゴミかのやうにへばりつきたる

  皐月つつじ深く繁りて枝さきに花弁萎れていつまでも付く

  雑草に二頭の蝶々寄りゆくをしづかにしづかに見届けて待つ

『論語』子罕八 孔子が言った。「私はもの知りだろうか、もの知りではない。知ることもない。つまらぬ男でも、まじめな態度でやってきて私に質問するなら、空空如たり。我れ其の両端を叩いて竭くす。」

  つまらない男がわれに質問す空空如たり両端を叩き

『正徹物語』174 和歌には何かと遺恨が多い。古人の表現を綴り合わせ後人の評価を思って詠んでも、満足ゆくことがない。だいたい世間の人皆がよしともてはやす歌を詠んでいたら、ずっとそのままで進歩はとまるだろう。一方、幽玄深遠な、自分の理想とする風体の和歌を詠むと、他人には理解されず、果ては非難の言まで浴びせる連中がいる。こういうところが歌を詠む遺恨となっている。ただ、世間で一様によしとされるものにはやはり取柄があろうかと思っている。

「吉野川氷りて浪の花だにもなし」という歌を、良い歌だと人は口を揃えて言ってくれるが、この程度の歌は、朝晩普通に詠んでいるのだ。

  吉野川氷て浪の花もたたずさびしき冬のかちんこちん

『伊勢物語』百二十五段 むかし男、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、
・つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを

『伊勢物語』最終段である。そして間近に師を予感している。これ好きな歌だ。

  死はなかなかわがもとにさへ来ざらむをわづらひあれば今日明日こそは

『伊勢物語』が終ったので、『百首で読む「源氏物語」』(木村朗子)を観ていくことにしよう。