2024年7月9日(火)

今日も朝から暑い。9時過ぎですでに32℃、あ~あ。やってられません。

  日の領域と影の領域のくきやかに分断されて影虐ぐる

  けさもまたパティオはみみずの乾びたる死骸あまたに占領される

  ガザ地区に滅ぶるもののごとくにて死せる蚯蚓の肉色の屍

『論語』子罕二一 孔子が顔淵ことをこう言った。「惜しいかな(彼の死)。吾れ其の進むを見るも、未だ其の止むを見ざるなり。」

  顔淵の死を惜しむべしその進む道を見ざりきその止むを見ざるに

『正徹物語』187 「田の蛙」の題で、こう詠んだ。
・ゆく水にかはづの歌を数かくや同じ山田に鳥もゐるらん

この鳥は鴫である。しかし鴫は秋の鳥なので、ただ鳥と言えば、何の鳥かはっきりしない、ということで好都合なのである。苗代にはあらゆる鳥が降りている。

  苗代の水田に降りる鳥々のあと絶ゆるなく時に鳴きつつ

『百首でよむ「源氏物語」』第一三帖 明石
・むつごとを語りあはせむ人もがなうき世の夢もなかば覚むやと 光源氏
・明けぬ夜にやがてまどへる心にはいづれを夢とわきて語らむ 明石の君

  むつごとを語り合ひたき人あるになかなかにこたへてくれぬを嘆く

・うらなくも思ひけるかな契りしを松より波を越えじものぞと 紫の上
*帰京
・わたつ海にしなえうらぶれ蛭の子の脚立たざりし年は経にけり 光源氏
・宮柱めぐりあひける時しあれば別れし春のうらみ 朱雀帝

  このうらみ残してはならず宮柱太くし立てば女男神あひける

2024年7月8日(月)

朝から暑い。これからもっと熱くなる。37℃といっている。

  狂ひやすき季節をすぎてしかしなほこの濃みどりの木々に溺るる

  まみどりの木々に溺るるごとくなりあつしあつしの樹林出でたり

  樹々の森に深く入り来て戸惑ふはここは迷宮出口はあらず

『論語』子罕二〇 孔子が言った。「これに(つ)げて(おこた)らざる者は、其れ回なるか。」

  弟子のうちの回に対して言いへらく告げておこたらずざる者こそ回なり

『正徹物語』186 「落花」という題で、このように詠んだ。
・さけば散る夜のまの花の夢のうちにやがてまぎれぬ峯の白雲 草根集3098

幽玄体の歌である。幽玄とは、心の中にはあるが詞では表現できない。月に薄雲がかぶさっているのや、山の紅葉に秋の霧がかかっている趣向を、幽玄とする。これはどこが幽玄なのかと問われても、どこがそうだとは言えない。これを理解しない人は、月はこうこうと輝いて、一片の雲もない空にあるのが素晴らしいと、定めて言うことであろう。幽玄という美は、およそどこがどう趣味が良いとも、絶妙であるとも言えないところによさがある。

さて「夢のうちにやがてまぎれぬ」は、源氏物語の歌である。光源氏が、藤壺中宮に逢って、見ても又逢ふ夜稀なる夢のうちにやがてなぎるるうき身ともがな 光源氏

と詠んだのも、幽玄の姿である。「見ても又逢うふ夜稀なる」とは、以前も逢わず、以後も逢えまいので、「逢ふ夜稀なる」と言う。この夢が覚めないままで、夢を見ながら命が尽きたら、そのまま全ては闇に消えるはずである。「夢のうち」とは、逢瀬を指している。「あなたに逢ったと見えているこの夢の中に、そのまま我が身も没して、夢とともに果ててしまえよ」というのだ。藤壺の返歌には、
・世がたりに人やつたへんたぐひなき憂き身をさめぬ夢になしても 藤壺
とある。藤壺は光源氏にとっては継母である。それなのにこんな事があったので、たとえ情けない自分の身は夢の中に消えたとしても、不名誉な評判はとどまって、後世の語り草とされるに違いないという。光源氏の「夢のうちにやがてまぎるる」という意を、しっかり受けとめて詠んだのだ。

私の歌の「さけば散る夜のまの花の夢のうちに」とは、花が咲いたか見ると、夜の間にはや散っている。夜が明けてみると、雲は夢に没せずそこにあるので、「「やがてまぎれぬ峯の白雲」と詠んだのだ。「夢のうち」とは咲いて散るまでを指す。

  いくたびも逢ひたくならむ藤壺をおもふ心にさくら咲き散る

『百首でよむ「源氏物語」』第十二帖 須磨  光源氏は須磨に蟄居することになる。

紫の上との歌のやりとり。
・身はかくてさすらへぬとも君があたり去らぬ鏡の影は薄れじ 光源氏
・別れても影だにとまるものならば鏡を見てもなぐさめてまし 紫の上

須磨へ落ちるまえに花散里を訪ね、別れの歌を交す。
・月影の宿れる袖はせばくともとめても見ばや飽かぬ光を 花散里
・行きつめぐりつゐにすむべき月影のしばし曇らむ空なながめそ 光源氏

再び紫の上と歌を交す。
・生ける世の別れを知らで契りつつ命を人に限りけるかな 光源氏
・をしからぬ命に代へて目の前の別れをしばしとどめてしかな 紫の上

須磨にて
・雲近く飛びかふ鶴も空に見よ我れは春日のくもりなき身ぞ 光源氏
・やほよろづ神もあはれと思ふらむをかせる罪のそれとなければ 光源氏

光源氏は、この須磨流しを謂れののないものと考えていたのだ。

  いはれなき罪なきわが身とおもへばこそ鶴鳴きわたれ高空に飛べ

2024年7月7日(日)

今日も暑くなりそうだ。また歩きに出かけられそうもない。

伊勢谷武『アマテラスの暗号』上・下を読み終える。帯の踊り文句がまったく役立たぬほど面白くなかった。ユダヤの民の信仰と日本の伝統信仰が似ているらしいが、それほど信憑性も感じられないし、刺客やスパイも嘘っぽい。また図表や写真、系図などが逆にうざったく感じた。でも、読み切ってしまったのだ。

  もんもんとものの芽どきをすぎたれど狂ひやすきはおのづからなる

  さつきつつじの枝刈りとられその花の萎びたるをも摘まれたりける

  あけぼの杉の枝それぞれに風にゆれ葉々の動きもそれぞれなりき

『論語』子罕一九 孔子が言った。「たとえば山を作るようなもの。まだもう一もっこというところを完成しないのも、止めたのは私である。たとえば土地をならすようなもの。一もっこをあけただけでも、その進んだのは私が歩いたのである。

ただの一もっこが功の分かれめ。それに停止も進歩も自分の責任で人ごとではない。

  何を為すにも一簣が肝心その一簣をつづける止めるもわがことなりき

『正徹物語』184(昨日間違えて184について書いてしまったので、今日は184)

初心の間は、し尽くせないほどの稽古をすべきだ。一夜百首、一日千首などの速連歌をも詠むことである。また五首二首を、五日、六日にじっくり思案することもあるべきだ。このように馬を疾走させるように速詠歌を詠んだり、逆に手綱を引っ張るようにして沈思して詠んだりすると、テンポの伸び縮みが自由にできるようになって、名人になる。最初から一首だけでも良い歌を詠もうとすると、一首二首すら詠むこともできず、向上することはない。

  とにもかくにも多くの歌をつくること素早く歌をつくることなり

『百首でよむ「源氏物語」』第十一帖 花散里
麗景院女御を訪ねてゆく途中、花散里を詠む。
・いにしへのこと語らへばほととぎすいかに知りてか古声のする 『古今和歌六帖』
・たちばなの香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ 光源氏
・人目なく荒れたる宿はたちばなの花こそ軒のつまとなりけれ 麗景院

  なつかしきたちばなの香をかぎやれば来し方おもふ女御を愛す

  なつかしきたちばなの香をかぎやれば来し方おもふ女御を愛す

2024年7月6日(土)

暑いのだ。朝から。昼間はもっと熱いらしい。これは困った。梅雨はどうなったのだろう。

  二、三の蚯蚓乾びぶをまたぎゆくゴミ棄て葉まで迷路ゆくごと

  けふもまた蚯蚓乾びてなんとなくその肉色の見過ぐしがたく

  なにゆゑに夜の内に路上に出てくるかそのまま乾びん蚯蚓の成虫

『論語』子罕一八 孔子が言った。「吾れ未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり。」 たしかにこういう人がいてもよさそうだが、やはりいないのかな。

  色好むごとくに徳を愛する人この世に見ざらむと孔子のたまふ

『正徹物語』185 閑中の雪、花盛り、まさか木、(かみ)(え)

  上つ枝に雪ふりにけりこれをこそ閑中の雪かとしづかにおもへ

『百首でよむ「源氏物語」』第十帖 
・浅茅生の露の宿りに君をおきてよもの嵐ぞ静心なき 光源氏
・風吹けばまづぞ乱るる色変はる浅茅が露にかかるささがに 紫の上
紫の上の成長に気づいた光源氏。六条御休所が娘について伊勢に下る。また藤壺も宮中を去る。その寂しさの中で紫の上の美しさ、賢さを再発見する。

いつのまにかかくもすばらしく成長せし紫の上こそたいせつにすべき

2024年7月5日(金)

朝から暑い。もっとも暑い日になりそうだが。

  あまりにも暑熱・湿度の高ければこの軀溶けゆくもいたしかたなし

  熱中症を怖れてぞ飲む清涼飲料水少し甘ければごくごくとのむ

  ペットボトルぶら提げ歩むいつもの道に影いつもより濃きものならむ

『論語』子罕一七 孔子が川のほとりでいった。逝く者はかくの如きか。昼夜を(や)めず。 これも『論語』の名言の一つだろう。昼夜も休まぬ流れのようにゆく。

  逝くものはかくのごとくとおもひしも流れのやうにはいかざるものなり

『正徹物語』183 堀河百首の作者以外でも、その時代の人の歌は、みな本歌に取ってよい。西行は鳥羽院の北面であったから、堀河院の時代には詠んだ歌がたくさんあるだろう。よって、西行の歌は本歌に取っていい。

  夏になり衣ばかりは軽くなるされど心は春を慕へり

『百首でよむ「源氏物語」』第9帖 葵 六条御息所が嫉妬のあまり、光源氏の正妻の葵を呪い殺してしまう。
・影をのみみたらし河のつれなきに身の憂きほどぞいとど知らるる 六条御息所
・袖濡るる恋ぢとかつは知りながら下り立つ田子の身づからぞ憂き 六条御息所
・浅みにや人は下り立つわが方は身もそほつまで深き恋ぢを 光源氏
・なげきわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがへのつま 葵の上に取り憑いた六条御息所

2024年7月4日(木)

朝、海老名のタワーマンションは靄っていた。湿気が多いのだろう。今日も暑い。

  夜の卓に菓子煎餅がありにけり醤油に浸かりし茶の色をして

  うつすらと醤油の匂ひ香らせて江戸前せんべいぱりぱりとかむ

  煎餅に迫りて洋風菓子ありぬどうもうまさうだ洋風の菓子

『論語』子罕一六 孔子が言った。「出ては公や卿につかえ、入りては父や兄たちにつかえる。葬儀にはできる限りつとめる。酒の上のみだれはない。そのくらい私にとってはなんでもない。

  公・卿につかへ父・兄につかふ。葬も酒もみだれずばわれにこそあれ

『正徹物語』182 本歌に取る事、草子には源氏物語のことは言うまでもない。さらに古い物語も取るのである。住吉物語・正三位・竹取物語・伊勢物語は、皆、物語の中でも歌をも詞をも取る。

  源氏、住吉、正三位、竹取、伊勢はすべて取るべし

『百首でよむ「源氏物語」』第8帖 花宴
・大方に花の姿を見ましかば露も心の置かれましやは 藤壺
・深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろけならぬ契りとぞおもふ 光源氏
・うき身世にやがて消えなばたづねても草の原をば問はじとや思ふ 朧月夜
・梓弓いるさの山にまどふかなほの見し月のかげ見ゆると 光源氏
・心いる方ならせまば弓張りの月なき空にまよはましやは 朧月夜
この帖は、この歌で幕切れだそうです。なかなか、すごい。

  梓弓入るさの山にまどひありほのかに月のかげに君ゐる

2024年7月3日(水)

朝は涼しいけれど、後は暑い。

  花期終へしパティオはまみどりの世界なりそれぞれの木にそれぞれのみどり

  よく見ればすずめの死骸細き黄色の肢よこたへて

  いつのまにかすずめの死骸がもち去られなにごともなし歩道のうへには

『論語』子罕一五 孔子が言った。「吾れ衛より魯に反り、然る後に楽正しく、雅(『詩経』の分類。朝廷の雅楽の歌)・頌(宗廟の歌)各々其の所を得たり。」

  魯に帰り楽も正しく雅も頌もところを得たりわがなすところ

『正徹物語』181 「早苗」という題で、このように詠んだ。
・旅行けばさおりの田歌国により所につけて声ぞかはれる 草根集3540

「さおり」は五月におるるなり。「旅行けば」は、いかがなものかと思われる詞であるが、古い歌に詠んでいる詞なので、さしつかえない。

  土地により田植えの歌もあれこれとあるものならむ声も変はりて

『百首でよむ「源氏物語」』第7帖 紅葉賀
朱雀院へ桐壺帝が赴き、宴を催す。が、藤壺には源氏を見られないだろうと宮中でリハーサル行なわせる。青海波を舞った源氏は光り輝いていた。
・もの思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の袖うちふりし心知りきや 光源氏
・唐人の袖ふることはとほけれど立ち居につけてあはれとは見き 藤壺

  あやまちとは思へど義理の母を恋ふ光源氏のすばらしきすがた