2024年7月16日(火)

朝から雨が降りはじめ、当分止みそうにない。

  コンビニにカフェ・オレを買ひ夏の雨じめじめ降り来さねさしの地に

  カフェ・オレの冷たきを飲む爽やかにまみどりの森に傘さしてゆく

  たうたつに『源氏物語』を想ひ出ず六条御休所、葵の上を殺す

『論語』子罕二六 「害を与えず求めもせねば、どうして良くないことが起ころう。」

子路は生涯これを口ずさんでいた。」孔子が言う。「そうした方法では、どうして良いといえるだろうか。」

  子路と孔子わづかに違ひがあるものを良きことを求めよと孔子は言へり

『正徹物語』194 「里の時鳥」という題で、このように詠んだ。
・あやなくも夕の里のとよむかな待つにはすまじ山時鳥

夕刻にはそもそも里はざわざわするものである。これが連歌なら、一体「何の声が響くのか」と言われるであろう。

  あやなくも里に鳴く鳥時鳥その声きかむ林ひろがる

『百首でよむ「源氏物語」』第二十帖 朝顔

賀茂斎院だった朝顔は交代になった。
・見しをりの露忘られぬ朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらん 光源氏

源典侍を思い出す。
・年ふれどこの契りこそ忘られぬ親の親とか言ひし一言 源典侍

藤壺が夢に現れる。
・とけて寝ぬ寝覚めめさびしき冬の夜に結ぼほれつる夢の短さ 光源氏

  もつとも夢みてゐたき人なるにこの短さやなんとしぬらむ

2024年7月15日(月)

雨っぽかったが、曇りというところか。午後、雨らしい。

  樹皮破れてますぐなる枝に繁りあふ欅の葉夏の天蓋をなす

  洞と洞つなぐ破れ目の長く伸び崩壊ちかきか一樹のけやき

  うすみどり色に錆びたる幹のうへのけやきの葉むらに守られてゐる

『論語』子罕二七 孔子の言。「敝れたる縕袍を衣、狐袍を衣たる者と立ちて恥じざる者は、其れ由(子路)なるか。」

  身穢き者と平気でたちたるは由なり他には誰もかなはず

『正徹物語』193 歌は極信体に詠めば、間違いはない。されどもそれは勅撰集の一体であり、それだけで堪能とはいはれがたい。これは御子左家が三流に分かれて以来、次第にこんな風になっていった。京極為兼は生涯の間、ひたすら奇矯な歌のみを好んで詠まれた。同じ時代に、二条為世はいかにも謹厳な極信体を詠まれたために、頓お阿・慶通・浄弁・兼好といった高弟も、みな師家の歌風を継承して、謹厳の体だけを歌道の到達点と思って詠んだので、このころから和歌がつまらなくなった。各流派に分裂する前は、俊成・定家・為家の三代とも、いかなる体をも詠んでいた。

  だんだんに窮屈になる和歌の道さまざまな体を詠むべきならむ

『百首でよむ「源氏物語」』第19帖 薄雲
・末とほき二葉の松に引きわかれいつか木高きかげを見るべき 明石の御方

藤壺の死。
・入日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがへる 光源氏

  山の端の薄(にび)(いろ)にくれゆかむおもふ人けふみまかりしもの

2024年7月14日(日)

重い雲が空を覆っている。朝は涼しかったが、やがて湿度が高くなる。

山本兼一『狂い咲き正宗』を読む。山本は二〇一四年に享年五十七で亡くなっている。

刀剣商ちょうじ屋光三郎の、御腰物奉行・黒沢勝義の嫡男だが、勘当され町のちょうじ屋の婿になった。その光三郎が主人公の刀剣物語だ。楽しい読書である

  刀剣を扱ふ商売わが夢のひとつとおもふ小説読みつつ

  水出し珈琲のこの芳香を嗅ぎやればここはコーヒー国熱帯の里

  時をかけて水出しコーヒーを抽出する香りよきかな黒ろぐろとして

『論語』子罕二六 孔子の言。「大軍でも、その総大将を奪い取ることはできるが、一人の男でも、その志を奪い取ることはできない。」

  三軍の帥は奪取出できても匹夫の志奪ふべからず

『正徹物語』192 一首懐紙は、「詠」の字の下に題を書く。「詠松有春色和歌」は、次のように書く。歌を三行三字に書く。奥をひろく余したもみにくい。一ぱいに書きあわせんとしたのもわるい。「詠」という字より前の空いたくらいに、歌の後の余白を書き残してあるのがよい。歌の行間があまり広いのもよくない。かといって三首歌を書く時のような行の幅でもだめだ。ちょっと広く空けて書くのがよい。俗人は、「春日同詠―和歌」と書き、全て一行に収める。出家者はただ「詠―和歌」とだけ書く。さらに「詠」の字の下に「夏日」「秋日」「冬日」などと書くのを、端作という。

  懐紙にも在家、出家で書き方に違ひあるべしやかましきかな

『百首でよむ「源氏物語」』第十八帖 松風

明石の御方と光源氏
・契りにし変はらぬことの調べにて絶えぬ心のほどは知りきや 光源氏
・変はらじと契りしことをたのみにて松の響きに音を添へしかな 明石の御方

冷泉帝から桂の邸の光源氏へ、またその返し
・月のすむ川のをちなる里なれば桂のかげはのどけかるらむ 冷泉帝
・ひさかたの光に近き名のみしてあさゆふ霜も晴れぬ山里 光源氏

  ひさかたの帝来ざれば月影もうすれとどかぬさびしくあらむ

2024年7月13日(土)

今日は割合涼しい。それでも暑くなってくる。

  眼鏡の遠近両用レンズに見るゆがめる像はわがすがたなり

  この遠近両用レンズに見ていればどこか歪みあり戦争映像に

  昔のレンズ懐かしむこの眼鏡百鬼夜行をまたも見るかや

『論語』子罕二五 孔子が言った。「忠信を主とし、己れに如かざる者を友とすること無かれ。過てば則ち改めるに憚ること勿かれ。」

  孔子の言ふ己れに如かざるものを友にせずだうしてここまで言ひきれるのか

『正徹物語』191 「深夜に夢覚む」という題で、このような歌が詠まれた。
・秋のよはながらにつくるためしまでおもひね覚の夢のうき橋
と詠んだが、「ね覚め夢」という事はない。「ねざむる夢」と詠むべしとて、なほし給
ひき。

  夢にさめて長柄の橋をおもふなりこの身をなにに立てんつもりや

『百首でよむ「源氏物語」』第十七帖 絵合
父親同士の権力争いがはじまる。女たちの歌。
・伊勢の海の深き心をたどらずて古りにしあとと波や消つべき 平内侍
・雲の上に思ひ上れるこころにはちひろの底もはるかぞ見る 大弐典侍
・みるめこそうら古りぬらめ年経にし伊勢をの海人の名をや沈めむ 藤壺

  いつのまにか古りぬるならむ伊勢の海の夏のすがたの腐れたるごと

2024年7月12日(金)

雨が降りはじめた。温度はいつもより低いけれど、湿気がひどい。

  コンビニのカフェ・オレを買ひ夏の空にとびだしてゆくただ歩くため

  カフェ・オレの冷たきを飲むうれしくてまみどり色を潜りゆくなり

  たまたまに『源氏物語』開きみる六条御息所、葵の上呪ふ

『論語』子罕二四 孔子が言う。「法語の言は、(よ)く従ふこと無からんや。これを改めるを貴しと為す。(そん)(よ)の言は、能く(よろこ)ぶこと無からんや。これを(たづ)ねるを貴しと為す。説びて繹ねず、従ひて改めずんば、吾れこれを如何ともする末きのみ。」

  みづからに法語、巽与の言学び改めざれば如何ともしがたし

『正徹物語』190 「そよさらに」「そそやこがらし」などという詞は、名人のふりをした詞である。好んで詠んではならない。嫌味で気障な感じがする。

  草原の荒れたれば吹く北風のそそやこがらし今宵さわぎつ

『百首でよむ「源氏物語」』第十六帖 関屋
・行くと来とせきとめがたき涙をや絶えぬ清水と人は見るらむ 空蟬
・わくらばに行きあふ道を頼みしもなほかひなしや潮ならぬ海 光源氏
・逢坂の関やいかなる関なればしげき歎きの中を分くらん 空蟬

  空蟬もいつのまにやら関越えて尼にしなりぬはかなかれども

2024年7月11日(木)

曇り空なれど暑くなった。

  焼失前の首里城の朱を模写するにこの朱の色のまぎれなきもの

  首里城へむかふ坂道をのぼりゆく塗師の古家など通りすぎつつ

  沖縄の空青くしてときをりに米軍兵のパワーハラスメント

『論語』子罕二三 孔子が言った。「青年は恐るべきだ。これからの人が今の自分に及ばないと、どうして分かるものか。ただ四十五十にして評判がたたないとすれば、それはもう恐れるまでもない。」

  後世畏るべし然れども四十五十に聞こえなければとるに足らず

『正徹物語』189 「潮のやほあひ」とは「八百合」と書く。四方より潮の満ちあふさかひを「やほあひ」というのだ。

  寄せきたる潮のやほあひ激しくも西へ東へ流れゆくなり

『百首でよむ「源氏物語」』第十五帖 蓬生 源氏が須磨・明石から帰って、のちに末摘花を見出すまでの物語。

おばが大宰府に下向する。
・絶ゆまじき筋を頼みし玉かづら思ひのほかにかけ離れぬる 末摘花

・藤波のうち過ぎがたく見えつるは松こそ宿のしるしなりけり 光源氏
・年を経て待つしるしなきわが宿の花のたよりに過ぎぬばかりか 末摘花

  藤の花にまどひて訪ぬることあらずたまたま来たるわれならなくに

2024年7月10日(水)

暑い、暑い。7時前からエアコンだ。

  寝ねがたく夢みる老いの駆けてゆく郊外の町川流れたり

  その夢にわれは追はれて廃坑の山をくだりぬここはいづこぞ

  共に来し友に別れてここはいづこ建築物の多くはあらず

『論語』子罕二二 孔子が言った。「苗にして秀でざる者あり。秀でて実らざる者あり。」

  苗のまま秀でざるあり秀でても実らざるあり努力が肝要

『正徹物語』188 夕日の光が残っている山の陰で、蜩が鳴くほど、興趣を覚えるものはない。さて「蜩の鳴く夕かげの大和撫子」と言っているように歌を転ずることは、難しいことである。「蜩の鳴く夕かげ」とあると、その下は雲とも日影とも書くであろうに、「大和撫子」と転じたのは、結びつかないようだが、見事に転じている。

定家の、
・蘭省の花の錦の面影に庵かなしき秋のむら雨

という歌を考えれば面白い。「蘭省の花の錦」を「秋のむら雨」に転じた。これは「蘭省の花の時 錦帳の下、廬山の雨の夜の草庵の中」という詩の境地を借りた。蘭省・錦帳とは御所のことだ。

  蘭省の花のさかりに秋の夜のむらさめ降るを庵にかなしむ

『百首でよむ「源氏物語」』第十四帖 澪標

光源氏と藤壺のあいだにできた東宮が、朱雀院に譲位した。光源氏は内大臣。
・みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐりあひけるえにしは深しな 光源氏
・数ならでなにはのこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ 明石の君

  住吉の社詣でにすれちがふなにはのことはかひなきものぞ