2024年7月23日(火)

今日も暑い、暑い。

  鏡の内の悪鬼悪相がいまのわれいづれのもののけかこのわれの貌

  窓遠く初蟬の鳴く声きこゆどこかのみどりの樹に拠りて鳴く

  根もとには蟬穴あらずあけぼの杉まだこのあたりから出でて来ざりき

『論語』郷黨第十 一 孔子、郷黨に於いて恂恂如たり。言ふこと能はざる者に似たり。其の宗廟・朝廷に在ますや、便便として言ひ、唯だ謹しめり。」

孔子は郷里では出しゃばらなかったということだろうか。こういう孔子は好きだな。

  郷黨には惇々としてでしゃばらず宗廟・朝廷には便々として

『正徹物語』201 歌の数寄についてあまたある。茶の数寄にも様々ある。まず茶数寄とはこういう者だ。茶道具を整え、建盞・天目・茶釜・水挿など様々な茶道具を、満足いくまで取り揃え持っている人が茶数寄である。これを歌道で言うと、硯・文台・短冊・懐紙など見事に取りそろえ、いつでも当座の続歌などを詠み、そして会所なども設けている人が茶数寄の類であろう。

また茶飲みという者は、とりたてて茶道具の善悪を言い立てず、どこででも十服茶などをよく飲み分けて、宇治茶ならば、「三番茶である。時期は三月一お日前後に摘んだ茶である」と言って飲み、栂尾茶では、「これは戸畑の茶」とも、あるいは「これは逆の薗の茶」とも言い当てる。これはどこの産地の茶と、故右衛門督入道山名時熈などがそうであったが、口に含めばすぐに言い当てる茶飲みという。これを歌道で言うと、歌の善し悪しを弁別し、歌語の選択にも心をかけ、心の持ち様が正しいか歪んでいるかも明察し、他人の歌の品の上下さえよく見究めなどするは、なるほど和

神髄に通じよく分かっていると考えられる。これを前に出した茶飲みの類にするのがよい。

さて茶喰らいと言うのは、大きな茶椀で簸屑茶でも上質な茶でも、茶と言えばとりあえず飲んで、少しも茶の善し悪しをも分からず、がぶがぶ飲んでいるのが茶喰らいである。これを歌道で言うと、表現を選択することもなく、心の持ち様も問題とせず、下手でも上手とも交際して、いくらともなく和歌を詠んでいるのが、茶喰らいの類だ。

この三種の数寄が、どれであれ、同じ仲間であるから、会では席を同じくする。智蘊は「わたしは茶喰らいの衆である」と申した。

こんなどうでもいいことを長々と書かねばならない時代だったんだなあとつくづくつまらないものだと思う。

  茶数寄でも茶飲みでも茶喰らいでもどうでもいいと言ひしか智蘊

『百首でよむ「源氏物語」』第二十七帖 篝火
・篝火に立ち添ふ恋の煙こそ世には絶えせぬほのほなりけれ 光源氏
・行くへなき空に消ちてよ篝火のたよりにたぐふ煙とならば 玉蔓

そしてここに、夕霧、柏木、弟の弁少将と連れ立ってやってくる場面がある。

  篝火のゆくへ消すべしあまりにも熱き恋する人ありぬべし

2024年7月22日(月)

今日も暑い。

  虫喰ひの葉を拾ふてくれば心たのしバッグに蔵め帰りくるなり

  少しだけ虫に喰はれて色変ず落葉にかがむわれぞたのしき

  種類の違ふ木々より落つる黄緑や緑のひと葉ひと葉に嬉し

『論語』子罕三二 

唐棣の華、偏として其れ反せり。(庭桜の花、ひらひらかえる。)豈に爾を思はざらんや、室是れ遠ければなり。(お前を恋しいと思わぬでもないが、家が遠すぎて。)

孔子は、この歌についていった。「思いつめていないのだ。まあ、ほんとうに思いつめさえすれば、何の遠いことがあるものか。

  庭桜の花ひるがへるなかにして君をおもはん家遠くとも

『正徹物語』200 「社頭の祝」という題で、このように詠んだ。
・庵原にあらず長良のみ山もるみおの神松浦かぜぞ吹く

「庵原やみほの浦」という名所は、駿河の国にある。そこでも松を詠んでいた。この歌も同じ「みお」であるけれども、駿河の庵原ではないので、「庵原にあらず長良の山と詠んでいる。「神のもる」と言うと、祝言の意はある。ここも琵琶湖のほとりで浦風が吹くはずなので、「浦かぜぞ吹く」と詠んだ。

  浦風吹く社をおもふ長良山吹きおろすべし夏のやま越え

『百首でよむ「源氏物語」』第二十六帖 常夏  常夏はなでしこの異名。
・なでしこのとこなつかしき色を見ばもとの垣根を人やたづねむ 光源氏
・山がつの垣ほに生ひしなでしこのもとの根ざしをたれかたづねむ 玉蔓

  とこなつのなでしこの花に結ぶえにしたれをか尋ぬ垣ほのうちに

2024年7月21日(日)

今日も暑くなると思って、5時代後半に歩く。同じような老人が5人、走る若者が2名。

  けふも地にだんご虫ゐる突つつけばたちまちまるまる鎧装ふ

  鎧のごとき甲に包まれ安楽かあんのんあんのん虫のつぶやき

  草むらよりだんご虫アスファルトに這ひだして何処ゆかむ西方浄土

米澤穂信『黒牢城』(角川文庫)を読む。有岡城に立てこもり、織田信長に反旗を翻す荒木村重、その城の土牢に幽閉された黒田官兵衛による謎解き。米澤穂信には珍しい時代ものであり、なかなかに重厚である。よき読書であった。

『論語』子罕三一 孔子が言った。「(とも)に共に学ぶべし、未だ与に道に(ゆ)くべからず。与に道を適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に(はか)るべからず。」

学問の段階をのべて、権(時宜に応じて適切な取り計らい)のむづかしさを述べた。

  ともに学びともに立つことむつかしく権には遠くなりがたきもの

『正徹物語』」199 「古寺の燈」という題で、このように詠んだ。
・法ぞこれ仏のためにともす火に光をそへよことのはの玉

このように詠めば、古寺はある。古寺の題で必ず寺と詠まなけれならないと思っているのは奇妙なことだ。古もたんなる添字である。ただ寺でいい。

  いにしへの寺の内なる御仏のやさしき笑みは忘れがたしも

『百首でよむ「源氏物語」』第二十五帖 螢

螢兵部卿宮と玉蔓の歌のやりとり。ともに宰相の君と光源氏のやりとりなのだが。
・なく声も聞こえぬ虫の思ひだに人の消つには消ゆるものかは 螢兵部卿宮
・声はせで身をのみこがす螢こそ言ふよりまさる思ひなるらめ 玉蔓

  身をこがし恋しと呼べる螢こそちかづきがたきよこの水へだて

2024年7月20日(土)

今日は熱い、あつい。

  この道は滅びへむかふその自覚なくて党派の争ひばかり

  まみどりの山なみ遠く見はるかす相模のやさしき色見ゆるなり

  大山独楽を作る木地師の少なくなるこのまま経れば滅びゆくなり

『論語』子罕三〇 孔子の言。「智者は惑はず、仁者は憂へず、勇者は懼れず。」

  智者は惑はず仁者は憂へず勇者は懼れずと孔子言ふなり

『正徹物語』198 「馴れて逢はざる恋」という題で、このように詠んだ。
・世の常の人に物いふよしながら思ふ心の色やみゆらん

「世の常の人に物いふ」と言っているのは、俗な表現のようであるが、こうあってもよいであろう。

  しばらくは馴れて逢はざるこの恋もわすれはてたるものにはあらず

『百首でよむ「源氏物語」』第二十四帖 胡蝶

秋の町を貫く池に竜頭鷁首の船を浮かべた。
・風吹けば波の花さへ色見えてこや名に立てる山吹の埼 秋好中宮方女房
・春の池や井出の川瀬にかよふらん岸の山吹底もにほえり 同
・亀の上の山もたづねじ舟のうちに老いせぬ名をばここに残さむ 同

源氏から玉鬘へ、
・橘のかをりし袖によそふれば変はれる身とも思ほえぬかな 光源氏

玉鬘の返歌。
・袖の香をよそふるからに橘の実さへはかなくなりもこそすれ 玉鬘

まるで一夜を過ごしたように、
・うちとけてねも見ぬものを若草のことあり顔に結ぼほるらむ 光源氏

  強情ゆゑに好めるものかいくたびも源氏が贈る文に書く文字

2024年7月19日(金)

朝は風が通って、いくらか涼しい。午前9時過ぎには暑い、暑い。

  けさも地にだんご虫ゐるつまづきさうになるも虫は潰さず

  鎧を丸めだんごのごときこの虫の沈黙こそが千金の価値

  草莽を転がりだせるだんご虫敵とおもへばたちまち鎧ふ

『論語』子罕二九 孔子が言った。「歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るることを知る。」人も危難の時にはじめて真価がよく分かる。

  歳寒くしてその後に松柏散らずみどり残れり

『正徹物語』197 慈鎮和尚の弟、奈良の一乗院門跡であった。十五夜の名に恥じない明月のもと、中門に佇んでいた時、力者法師がたくさん庭を掃いていたのが、「御同輩、どのように明月の今夜は慈円が歌を詠むだろうか」などといい合っている。さて、明朝、一乗院門跡は慈円のもとに書状を出した。その文面は、次のようなものであった。「恐れながら、心中隠さず申し上げます。天台座主、多くの門徒に仰がれるトップながら、真言・天台を研鑽し、教学を学ばれているならばともかく、毎日和歌に狂っていられることは、仏門のしきたりに背き、賤しい俗人と同じに見えますこと、遺憾です。こちらに使っているものどもが、昨夜の月を見てあなたのことを噂していました。まして世間の巷説は、どんなにかと推量します。これ以後は和歌をしばらく遠慮されるがいいと存じます。」と、こまごまと諫状を差し上げたので、慈円はその頃天王寺別当でもあって、寺に出かけられていたので、そちらへ一乗院門跡の書状をもって参上したところ、返事には「嬉しく拝見いたしました」とあって、さらに一首の歌を書いていました。

皆人に一のくせあるぞとよこれをば許せ敷嶋の道
と自筆で書かれたので、一乗院門跡は、「どうにもならぬ」匙を投げた。

  慈円を沙汰の限りと言ひ放つ一乗院門跡正しきものか

『百首でよむ「源氏物語」』第二十三帖 初音

六条院の紫の上の居所。
・薄氷とけぬる池の鏡には世に曇りなき影ぞ並べる 光源氏
・曇りなき池の鏡によろづ代をすむべき影ぞしるく見えける 紫の上

明石の姫君の居室から。
・年月をまつに引かれてふる人にけふ鶯の初音聞かせよ 明石の御方
・引きわかれ年は経れども鶯の巣立ちし松の根を忘れめや 明石の御方

  年月の松に誘はれ鶯の初音聞かせよ人は古れども

2024年7月18日(木)

曇り空が、しだいに晴天に。

  27℃は暑いか涼しいか九階に風の通ればいささか涼し

  じわっじわっ肌へを濡らすこの汗を人の証しと誇らしげなり

  エアコンのスイッチ入れる目途とする28℃をたちまちに超す

『論語』子罕二八 「(そこな)はず求めず、そうすればどうしても良くないことが起こる。」子路は終身これを口ずさんでいた。孔子が言う。「是の道や、どうして良いといえようか。」

  孔子と子路のあいだに齟齬があり子路早世すれば孔子かなしむ

『正徹物語』196 実相院の義運僧正が大峰に入峯されるということで、奈良の尊勝院へ立ち寄り、一晩宿り、翌朝早く出立したので、尊勝院の院主光経上人は自ら盃を持って外に出て、出立をお祝いしたところ、義運僧正が短冊を一枚手にして、「壮行の歌一首を聞かせましょう」と言って、私に下された。急なことで困惑したけれど、とやかく言って拒み通せない事なので、墨を静かに摺って、書きつけた歌である。
・このたびは安くぞこえんすず分けてもとふみなれし岩のかけ道

今回は二度目の入峯であったので、「もとふみなれし」と詠んだ。

  熊野道いくたび辿る険しさに慣れることなくけふも旅する

『百首でよむ「源氏物語」』第二十二帖 玉鬘

源氏は自邸に夕顔の娘を引き取る。
・知らずとも尋ねて知らむ三島江に生ふる三稜の筋は絶えじを 光源氏
・数ならぬ三稜や何の筋なればうきにしもかく根をとどめけむ 玉鬘

着物を贈られた末摘花の歌。
・着てみればうらみられけり唐衣返しやりてん袖を濡らして 末摘花
・返さむといふにつけても片敷の夜の衣を思ひこそやれ 光源氏

  片敷のさびしさに絶へ唐衣うらかへしてや袖を濡らさむ

2024年7月17日(水)

朝からずっと曇りが続くらしい。

深町秋生『鬼哭の銃弾』(双葉文庫)を読む。「スーパーいちまつ強盗殺人事件」を追う、退職刑事の父と現役刑事の息子の葛藤が凄いし、顛末も凄い。

  礼をするごとくに繁るあけぼの杉雨降ればしとど濡れそほちつつ

  雨に濡れしたたる葉むら下がりをりあけぼの杉のみどり増しつつ

  湿り気にかすかな小田急小田原線橋梁わたる音も湿りて

『論語』子罕二七 孔子が言う。「敝れたる縕袍を衣、狐貉を衣たる者と立ちて恥ぢざる者は、其れ由(子路)なるか。」

  破れたる縕袍を着て毛皮着る者とし立てど由は恥ぢざる

『正徹物語』195 「煙に寄する恋」という題で、このように詠んだ。
・立つとてもかひなし室の八嶋もる神だにしらぬむねの煙は 草根集4643

「室の八嶋洩る」から「護る神」へさっと変化させる箇所で、斬新なものになった。しかしこれも一回限りで「室の八嶋もる」という句を、二度とは詠むまいと肝に銘ずべきである。少し昔には「池にすむをし明けがた」「露のぬきよはの山かぜ」といった句は、二度真似て詠んでは名折れと思ったものだ。

  煙たつ室の八嶋をもる神もしらぬ恋するわれならなくに

『百首でよむ「源氏物語」』第二十一帖
葵の上と光源氏のあいだに生れた夕霧の元服、六位に任ず。
・紅の涙に深き袖の色を浅緑にや言ひしをるべき 夕霧

官位に満足はしていません。
源氏は新しき邸を新築した。
・心から春待つ園はわが宿の紅葉を風のつてにだに見よ 秋好中宮

  春待つも秋待つもともに風にのりけはひ伝へ来るを待つのみ