2025年2月13日(木)

今日も晴れてる。暖かくなって、午後冷えてくるらしい。

シャープペンシルの0,5m芯卓に散らばれば夢の中われはばらばらになる

  シャープペンシルの0,5m芯こころの譬喩かもわれはばらばら

  この寒さに目覚めたりけむわが軀なりこれも悪性リンパ腫ゆゑか

『論語』衞靈公二〇 孔子曰く、「君子は世を(お)へて名の称せられざることを(にく)む。」

今の名声のために気を配るのはよくないが、いつかは真価を認められるようにと

自分をみがくのである。

そうかなあ、真価は認められなくともよくないだろうか。孔子も小さい。

  世を終へて真価を認められねば君子ならずかいやさうでもなからふ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 五七 クロヒメ

なた、クロヒメが歌う。

倭方(やまとへ)に 行くは誰が夫      ひそかに忍んでやってきて
(こもり)(づ)の 下よ(は)へつつ      落葉の下行く水の様に
行くは誰が夫          ひそかに大和へ帰るのは 誰が思いの夫でしょう

  大和よりひそかに来たり隠水の下よ延へつつ帰るは誰ぞ

2025年2月12日(水)

今日も晴れ。そして寒い。

谷川俊太郎編『辻征夫集』(岩波文庫)を読む。辻征夫も谷川俊太郎も、今は亡き人であるが、詩の中に歌や俳句が嵌め込まれていたりして、わたしは好きだ。二人の対談がまたおもしろい。詩は各人の好き嫌いがあるから読んでもらうしかないが、対話の文言に興味深いものがあって、心惹かれた。「上ずるという詩の基本」「人生がちゃんとある詩」「実際に生きているリアリティと完全に切り離されていいんだろうか」

どれも谷川の発言だが、これいいな。

「珍品堂主人、読了セリ」に心筋梗塞発作に死んだ父を弔うような一首がある。

  そのかみの浅草の子今日逝きぬ襯衣替へをれば胸あたたかし

今日は俳句を

  寒すずめ毛羽立つが見ゆ愛らしき

  寒の日はあつけらかんと厚着して

  寒なれば(ぬ)くときものを腹に入れ

  寒がらす今朝もうるさく鳴きにけり

  寒ければ温き炬燵に丸くなる

『論語』衞靈公一九 孔子曰く、「君子は能なきことを病ふ。人の己れを知らざることを病へず。」

君子というものは、自分に才能なきことを気にして、人が自分を知ってくれないことなど気に掛けないものある。どこか独善的であるようにも思える。

  君子なれば能なきことも人に己を知らざるも憂ふることなし

『古事記歌謡』蓮田善明訳 五六 クロヒメ

天皇が帰る時、クロヒメの歌、

倭方(やまとへ)に 西風(にし)吹き上げて     大和に向いて西風が 吹いて離した雲の様に
雲離れ 退(そ)き居りとも      離れて君が行ったとて
われ忘れめや          心は離れておりませぬ

  愛するべきあなたが大和へ帰るともわれ忘れめや愛する人を

2025年2月11日(火) 紀元節 釋迢空の128回目の誕生日だ。

今日も寒いが、青天だ。

  朝爪をコツンコツンと音たてて斬り捨ててゆく吾妻にあらむ

  寒がらすずぶとき声に鳴きにけり

  朝爪を切るとき妻の表情のにんまりとして桑原くはばら

『論語』衞靈公一八 孔子曰く、「君子、義以て質と為し、礼以てこれを行なひ、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。」

これは人間の理想像のようだ。正義をもとにしながら、礼によって行ない、謙遜によって口にあらわし、誠実によってしあげる。これが君子だと孔子は言ったのだ。

義、礼、孫、信これらができてこその君子なり孔子の理想高きにありし

『古事記歌謡』蓮田善明訳 五五 仁徳天皇

クロヒメは、その国の山方という地に迎え、接待した。クロヒメが吸物の菘菜を摘む所に行き、歌った。

山県に 蒔ける(あを)(な)も      山の畑に蒔いた菜も
吉備人と 共にし摘めば     吉備のおとめと来て摘めば
(たぬ)しくもあるか         心もたのし二人ゆえ

  山の畑に二人来て菘菜を蒔きて共に摘むかくもかくもぞ楽しくもある

2025年2月10日(月)

青天、しかし寒い。

奥泉光『虚傳集』読了。偽書の歴史小説集。著者初の短編集らしい。これが大方、嘘ばかりであろうが、どこか本当っぽく、奥泉が創ったであろう、あれこれの偽書を用いて、本当らしく書かれている。この書は本物であろうかと思って、辞書を引いても出てこない。偽書なのだ。本物らしく歴史の中に埋め込んで卓抜である。最後の「桂跳ね」には、いかにも本物らしい辞世の歌が出てくる。

  君がため馬駆りて越ゆ桂川 野路の草葉の露と散るとも

三島由紀夫の辞世のような下手さが、いかにもという感じだ。どこかおもしろく、たのしい書物である。

  大山にも彼方丹沢連山にも谷筋は白、夕べ雪ふる

  大山に雪が積もるも今年初めでたきものよ手を合はせをり

  今年最低の寒き日にして大山もわづかに雪の降り積もりけむ

『論語』衞靈公一七 孔子曰く、「群居して終日、言 義に及ばず、好んで小慧(しょうけい)を行なふ。難いかな。」

一日中集まっていて、話が道義のことには及ばず、好んで猿知恵をひけらかすというのでは、困ったものだね。

いや、まったくだ。

群居して終日道義に及ばずに猿知恵ひけらかす困ったものだ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 五四 仁徳天皇

天皇は、クロヒメを恋しく思い、淡路島見物と皇后を欺いて行幸した時に、淡路島から、はるばると展望して歌った。

おしてるや 難波の崎よ        難波の崎より船出して
出で立ちて わが国見れば       はるかに国を見渡せば
淡島 淤能碁呂島           島が見えるよ波の上
檳榔(あぢまさ)の 島も見ゆ           おのごろ島や淡島や
(さ)(け)(つ)島見ゆ             あじまさ島にさけつ島

淡路島から吉備の国に行幸した。

  皇后には淡路行幸と偽りてクロヒメに会ひに吉備へと赴く

2025年2月9日(日)

今日も晴れ。だがあいかわらず寒い。

電熱温床の上に干されし妻の下着にからまりつくはわれのTシャツ

  妻の下着にわれの下着がからまりてどこか淫蕩なり絨毯の上

  靴下と靴下が挨拶する如き電熱温床あたたかなりき

『論語』衞靈公一六 孔子曰く、「如之(いか)(ん)、如之何と曰はざる者は、吾れ如之何ともすること(な)きのみ。」

どうしようか、どうしようかと言わないような者は、わたしにはどうしようもないねえ。 なんだか言葉遊びというかこの対語の重ね方がおもしろくもある。

  如之何、如之何といはざる者はわれには到底如之何ともし難し

『古事記歌謡』蓮田善明訳 五三 仁徳天皇

皇后のイハノヒメノ命は嫉妬深い方だった。吉備の海部直の娘クロヒメが美しいと聞いて、お召しになったが、皇后の嫉妬を恐れて、故国へ逃げ帰った。天皇は高殿から、船出するのをはるかに見送って、歌った。

沖方(おきへ)には 小船連(こぶねつら)らく      沖に小船の連なる中を
もろざやの まさづ子(わぎ)(も)    吉備のおとめの船が行く
国へ下らす           ふるさと向けて帰り行く

皇后はこの歌を聞いて、非常に怒り、大浦に人をやって、クロヒメを船から追い降ろし、陸路を歩いて国に帰らせた。

  天皇が愛せし姫を皇后の嫉妬に帰す歩きて帰す

2025年2月8日(土)

今日も寒い。そして晴天。

  一九四五年、占領下の京都に起こることなど知らず

  ひょっとしたら原子爆弾を落とされしか京都盆地の地勢よろしき

  京都伏見には陸軍の基地ありさしずめ伏見は軍都ならむか

『論語』衞靈公一五 孔子曰く、「躬自から厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨みに遠ざかる。」

われとわが身に深く責めて、人を責めるのをゆるくしていけば、怨んだり、怨まれたりから離れるものだ。

  人を責めず己みづから責め厚くすれば則ち怨みに遠し

『古事記歌謡』蓮田善明訳 五二 ウヂノ若郎子ノ皇子

水上からの鉤でその沈んだあたりを探ると、着物の下の鎧に引っかかり、それがかわらと鳴った。だから、そこを訶和羅崎と呼ぶようになった。その死骸を引き上げた時に、ウヂノ若郎子ノ皇子の歌。

千早人 宇治の渡に       宇治の渡りの岸の辺に
渡瀬(わたりせ)に立てる (あづさ)(ゆみ)(ま)(ゆみ)     (お)える梓と(まゆみ)の木
射伐(いき)らむと 心は(も)へど     その梓弓檀弓もて
射取らむと 心は思へど     射伐ろ射取ろうと思えども
本方(もとへ)は 君を思ひ(で)       つくづく弓を見てあれば 本べは先考(ちち)を思い出で
末方(すゑへ)は (いも)を思ひ出       末べは妹らを思い出で
(いら)なけく そこに思ひ出     あれやこれやといらいらと
かなしけく ここに思ひ出    あれやこれやに悲しくて
射伐らずぞ来る 梓弓檀弓    ついに射らずに帰り来る

オホヤマモリノ命の遺骸は那羅山に葬られた。

  ちはやぶる宇治の渡りに沈みたる大山守を惜しみて嘆く

2025年2月7日(金)

寒い、寒い。青天である。

秋尾沙戸子『京都占領 1945年の真実』読了。原子爆弾が落とされる可能性もあった京都の一九四五年以降の米軍の占領下にあった時代の動きが記されている。知らなかったことも多く、興味深い読書になった。占領軍の手から守られた京都御所、上賀茂神社の森を開発して開かれたゴルフ場、京都大学の核開発疑惑、祇園の変化、山鉾巡行の不思議など飽きないのだが、それだけ占領下に色々あったことが如実に触れられている。

  露天の湯につかりてため息もらすときはや山に入るなごりの赤さ

  夕暮れてこの山中を宿と決める蛇を操る人、皿回しも居る

  峠の道にすれ違ふものは修験者か法螺貝腰に下りくるなり

『論語』衞靈公一四 孔子曰く、「臧文仲(魯の大夫)は其れ位を窃める者か。柳下恵(魯の賢大夫。『孟子』微子篇には「聖人の和なる者」と評する)賢を知りて与に立たず。」

  なかなかに辛辣な評を孔子は下すかはりに柳下恵を讃へたりけり

『古事記歌謡』五一 オホヤマモリノ命

船を進められ、それが中流にさしかかった時、船を傾けて、水中に落とし入れた。オホヤマモリノ命は、それからいま一度、水面に浮かび上がったが、それなり、水のままに流されて行った。流れながら歌った歌。
千早(ちはや)(ぶ)る 宇治の(わたり)に       宇治の早瀬に棹執って
(さお)(と)りに 速けむ人し       速船こげる舟人は
わが(もこ)(こ)む           早く救いにここへ来い

川の岸に伏していた兵は、あちらこちら、いっせいに立って、弓に矢をつがえながら、命を追い流した。そこで訶和羅崎に至って、ついにそのまま水中に没した。

  ちはやぶる宇治の渡りに棹執りて速船をこぐ人やありけむ