2024年8月9日(金)ナガサキの日

またまた暑い。

  桃三つ取り待ち撃てば黄泉の国を逃れ出でたるわれにやあらむ

  渋滞を避けて中央高速路。路面荒れ、跳ぬ。後部座席は

  桃の実を二人で分けて語りあふ旅の終はりは少しさびしく

『論語』郷黨一五 君に侍食するに、君祭れば先ず飯す。

主君とともに食事をする時は、(毒みの意味で)先に食べられた。

主君に仕えるコツですか。

  主君とともに食するときはおのれから先づ食すべし毒見のために

『百首でよむ「源氏物語」』第四十一帖 幻

紫の上の死を悲しむ源氏。
・わが宿は花もてはやす人もなし何にか春のたづね来つらん 光源氏
・香をとめて来つるかひなく大方の花のたよりと言ひやなすべき 螢兵部卿宮

紫の上に仕えていた女房たちと話す。雪が積もった。
・うき世にはゆき消えなんと思ひつつ思ひの外になほぞほどふる 光源氏

・さもこそは寄るべの水に水草ゐめ今日のかざしよ名さへ忘るる 中将の君
・大方は思ひ捨ててし世なれどもあふひはなほやつみをかすべき 光源氏

その年の暮れ、仏名の行事に光源氏が姿を見せた。その姿は昔に増して光輝いてみえた。
・もの思ふと過ぐる月日も知らぬ間に年も我がわが世も今日や尽きぬる 光源氏

光源氏最後の歌である。

  あんなにもひかりかがやきしその人もつひに果てなむ日もあるものを

『春秋の花』(大西巨人)春の部 有島武郎

「前途は遠い。而して暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。/

行け。勇んで。小さき者よ。」短編『小さき者へ』1918年)の結び。
・世の常のわが恋ならばかくばかりおぞましき火に身はや焼くべき

  小さき者よ恐れてはならぬ恐れざる者の前にこそ道は開くる

2024年8月8日(木)

昨日までより気温は低くなっているようだが、暑いことに変わりはない。

木内昇『よこまち余話』(中公文庫)を読む。浩三少年を通して、駒さん、トメさん、遠野さんなどのあの世の人々が捉えられ、この横町、というか路地のあの世とこの世の交わるところが魅力的だ。

  尖石の土に眠れる土偶あり孕み女が三角顔して

  スーパーつるやにおやきを買へばわれもまたみこもかる信濃の老人なりき

  コシヒカリ五キロを背負ひかへるべし黄泉にはあらず科の国なり

『論語』郷黨一四 君、食を賜へば、必ず席を正して先づこれを嘗む。君、腥(生肉)を賜へば、必ず熟して(煮て)これを薦む。君、生けるを賜へば、必ずこれを畜ふ。

君主は色々下さるのだが、食物は少し食べ、生肉は火を通し、いきているものは飼うのだ。

  潔癖なる孔子とおもふ。あれこれの賜りものへの対応みれば

『百首でよむ「源氏物語」』第四十帖 御法(みのり)

法華経千部を奉納する仏事に紫の上を中心に歌を詠みあう。
・惜しからぬこの身ながらも限りとて薪尽きなんことの悲しさ 紫の上
・薪こる思ひは今日をはじめにてこの世に願ふ法ぞはるけき 明石の御方

・絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる世々にと結ぶなかの契りを 紫の上
・掬びおく契りは絶えじ大方の残り少なき御法なりとも 花散里

紫の上は死を意識した。
・おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩の上露 紫の上
・ややもせば消えをあらそふ露の世におくれ先立つほど経ずもがな 光源氏
・秋風にしばしとまらぬ露の世をたれか草葉の上とのみ見ん 明石中宮

紫の上の死
・いにしへの秋さへ今の心地して濡れにし袖に露ぞおき添ふ 致仕の大臣
・露けさはむかし今とも思ほえず大方秋の夜こそつらけれ 光源氏

秋好中宮から
・枯れ葉つる野辺をうしとや亡き人の秋に心をとどめざりけむ 秋好中宮
・上りにし雲居ながらも返り見よ我秋果てぬ常ならぬ世に 光源氏

  秋果てぬ我を見むとやあの世より紫の上返りきませよ

昨日で『正徹物語』を読み終えた。なんだか分かったような、分からなかったような。

正徹の蘊蓄を読まされているような古典であり、『徒然草』には、到底及び難い。

ということで、今日からは大西巨人のアンソロジー『春秋の花』を読んでいくことにしたい。大西巨人は、『神聖喜劇』をはじめ、没後の『日本人論争』中の自作の短歌を見ても短歌好きであったことがわかる。『春秋の花』は、短歌のみではないが、読んでいきたい。
とはいえ今日は満腹である。明日からのことにしよう。

2024年8月7日(水)

またまた暑いが、気温は33℃くらいになるらしい。それでも暑いなあ。

  直角にとんぼうが曲がる尖石。磁場の狂ひは縄文の地

  杉の木の幹のみ残りされど立つ巨木生きてゐる千年のいのち

  諏訪文化と八ヶ岳文化の重なりて尖石、ふしぎの蛇が巻く

『論語』郷黨一三 厩焚けたり。孔子、朝廷から退出して言った。「人を傷へりや。しかし馬を問はず。」

  厩焼けるに人のことは問へど馬の是非には触れずに孔子

『正徹物語』213 家隆は四十歳以後ようやく歌人の名を得た。それ以前にもどんなにか歌を詠んでいたであろうが、評価されるのは四十歳以後であった。頓阿は六十歳以後歌道で名声を得た。このように昔の名人も、初心者のうちから名声があったことはない。稽古と愛好とを、長い年月にわたり続けて、遂に声望を得るのである。昨今の人が、歌の数ならば百首か二百首詠んだだけで、そのまま定家・家隆の和歌に擬そうと思うのは、おかしな事である。定家も「歩みを運ばないで遠い所に到達することはない」と書いている。関東や九州の方へは、何日も費やしてようやく到達するものなのに、思い立っては一歩だけで着こうとするようなものだ。

ひたすら愛好の心を強く持ち、昼夜の修行をゆるがせにせず、まずはゆったりとした心持ちで軽快に詠む癖をつければ、求めてもいないのにおのずと感興あふれる境地へ行き着くはずだ。但し後京極摂政良経公は、三十七歳で薨去されたが、生来の名人であり、すばらしい和歌を詠んだ。もし八十歳、九十歳の高齢まで長生きされたら、

さらにどんな珠玉を詠まれたかと世に言われたものだ。宮内卿は二十歳にも満たず亡くなったので、いったいいつ稽古も修行も積んだのかと思われるけれど、名声があったのは、これも生来の名人であったからだろう。このような生まれつきの名人においては、仏教でいえば、「発心の時点で既に大悟を開いている」ということなので、修行を積むまでのこともない。」しかし、そうでない連中は、ただ絶えず修行を励んで年月を送る者に必ずおのずと大悟を得る時が来るはずだ。そこでは愛好心にまさる手段も要諦もない。はるか昔でも、愛好心の強い人たちは、古今集など歌道の秘事の伝授、あるいは勅撰集への入集なども許された。真の愛数好心さえあれば、どうして大悟する時が到らないことがあろうか。

  数寄ふかく昼、夜わかぬ稽古ありさすれば大悟の道ひらけたり

『百首でよむ「源氏物語」』第三十九帖 夕霧

女二の宮は、亡き柏木の正妻である。今は落葉の宮と呼ばれている。
・山里のあはれを添ふる夕霧に立ち出でん空もなき心地して 夕霧
・山がつのまがきをこめて立つ霧も心そらなる人はとどめず 落葉の宮

・われのみやうき世を知れるためしにて濡れ添ふ袖の名をくたすべき 落葉の宮
・たましひをつれなき袖にとどめおきてわが心からまどはるるかな 夕霧

落葉の宮と夕霧の間をあやしむ一条御息所
・女郎花しをるる野辺をいづことて一夜ばかりの宿を借りけむ 一条御息所

後息所は絶望のうちに死去。真面目だった夕霧が恋に惑乱し、いままさに男盛りである。

  源氏をも驚かすほどの息子の恋男盛りといふべきころか

2024年8月6日(火)ヒロシマの日

今日も暑い。

  露天湯に浸かれば老爺も哲学者。メディテーションにしづむ裸身は

  露天湯に見えて夜空の星あまたミルキーウェイ渡るすべなし

  露天湯に首まで浸かりご満悦緊張感なき爺が五人

『論語』郷黨一二 季康子が薬を贈った。拝の礼をして受けとって言った。「丘(孔子)はこの薬のことを知らない。だから今日は口にしません。」

  慎重に薬は飲むべし。いただいた薬はすぐには口には嘗めず

『正徹物語』212 「花を弄ぶ」という題で、このように詠んだ。
・一枝花の色香をかざすゆゑいとどやつるる老いの袖かな

雪の時は、粗末な物を着ているのが、ひどく粗悪に見えるものである。

  一枝の花もてあそぶ園のうち老爺の着物おとろへたるか

『百首でよむ「源氏物語」第三十八帖 鈴虫

女三の宮の念持仏の開眼供養。
・蓮葉を同じ台と契りおきて露のわかるる今日ぞ悲しき 光源氏
・隔てなく蓮の宿を契りても君が心やすまじとすらむ 女三の宮

松虫より鈴虫かな。
・大方の秋をばうしと知りにしをふり捨てがたき鈴虫の声 女三の宮
・心もて草の宿りをいとへどもなほ鈴虫の声ぞふりせぬ 光源氏

  秋虫の鈴虫の音をいとほしむ人をりにけりいまだいとしき

2024年8月5日(月)

「ああ、きょうも、暑うなるぞ」(小津安二郎『東京物語』)

  あひる型のボートを漕ぎて湖心へとなにかが潜むこの水の内

  時々に古代生物浮かびくる湖面に息するごとき水の輪

  白樺の林を映し動かざる女神湖の朝みどり濃くして

『論語』郷黨一一 人を他邦に問へば、再拝してこれを送る。(他国の友人をたずねさせるときは、その使者を再拝してから送り出す。)                    

友人への敬意。拝は、両手を組んでそこまで頭を下げる敬礼。

  他邦に人を訪ねさせるとき再拝しこれを送るなり孔子の礼は

『正徹物語』211 隆祐(藤原隆祐)の歌は、若い頃は、父の家隆にも劣らず期待が持てるように思われたが、長じて後、ひどく劣化したと定家が言ったと聞いて、「それなら後年の歌は仕方ないにしても、若い時の歌を勅撰に入れてくれないのか」と隆祐は恨んだという。家隆の歌に、どこか不吉な寂しさがあるといって懼れたが、案の定、家隆・隆祐・隆博と、わずかに孫の代までで絶えてしまったのは不思議である。

  家隆の歌には亡失の体あるを定家おそるる孫にて滅びむ

『百首でよむ「源氏物語」』第三十七帖 横笛

出家した女三の宮のもとへ朱雀院は筍や野老(とろろ)を贈った。
・世をわかれ入りなむ道はおくるとも同じところを君もたづねよ 朱雀院
・うき世にはあらぬところのゆかしくて背く山路に思ひこそ入れ 女三の宮

女二の宮のもとを訪れた夕霧。
・ことに出でて言はぬも言ふにまさるとは人に恥ぢたるけしきをぞ見る 夕霧
・深き夜のあはればかりは聞き分けどこと寄り顔にえやは弾きける 女二の宮

夕霧の夢に柏木が現れた。
・笛竹に吹きよる風のことならば末の世ながき音に伝へなむ 柏木

  未練がましい柏木笛の音に寄りて姿あらはす夕霧の夢に

2024年8月4日(日)

暑い。暑い。

  ヘアピン坂を幾度も上り女神湖へしづかなる水の面なりけり

  九十九坂を上りつめたる蓼科山。女神の姿に夕暮れにけり

  牧場の遠くに牛の寝転びて尾を振り憩ふところ見えたり

  蓼科の牧場に数頭の乳牛ありソフトクリーム舌に舐りて

『論語』郷黨一〇 郷人の飲酒には、杖者(杖をつく老人)出づれば、斯に出づ。郷人の(おにやらい)には、朝服して東の階段に立つ。

  郷人の内にも礼儀がたいせつなり飲酒、追儺にも礼儀あるべし

『正徹物語』210 どのような事を幽玄体と言えばよいか。これが幽玄体であると表現や内容で明確に言えることではない。行雲廻雪体を幽玄体と申しますので、空に雲がたなびき、雪が風に漂う有様を幽玄体と言うのがよいか。

定家の愚秘抄に「幽玄体を物に譬えて言うなら、ちょうどこんなものである。唐土に襄王という王がいた。ある時、襄王が昼寝しようといって、午睡をしているところへ、神女が天から降りてきて、夢がうつつかはっきりしないまま、襄王と契りを結んだ。さて別れの時が来て襄王は名残を惜しんで恋慕したところ、神女は「私は天上界の天女である。前世からの約束があり、今ここに契りを結んだ。地上には留まれない」と飛び去ろうとしたので、襄王は恋慕の思い抑えかねて「それならば、せめて形見を渡してください」と言うと、神女は「私の形見としては、巫山という宮中から近い山がある。この巫山に朝にたなびく雲、夕方に降る雨をご覧になれ」と言って消え去った。この後、襄王は神女を恋慕して、巫山に朝にたなびく雲、夕暮に降る雨を見やりなさった。この朝の雲、夕暮の雨を見やるような姿をこそ幽玄体と言うのがよいと書いてある。

つまり、どこが幽玄であるかという事は、各人の心中にあるはずだ。ことあたらしく言語で書き表し、心中で明らかに分別するような事ではない。内裏の紫宸殿の花盛りに桜が咲き誇っているのを、衣袴を着た女房四、五人が見やっているような有様を幽玄体というのがよいか。これらを、「どこが一体幽玄であるか」と尋ねるとしても、「ここが幽玄であろう」とはできない光景である。

ただでさえ分かりにくい幽玄体であるが、いっそう分りにくくしているようだ。

  幽玄体をいかなるものとこと問へば襄王や女房に寄せて語りぬ

『百首でよむ「源氏物語」』第三十六帖 柏木
・いまはとて燃えむ煙も結びほれ絶えぬ思ひのなほ残らむや 柏木
・立ち添ひて消えやしなましうきことを思ひ乱るる煙くらべに 女三の宮

女三の宮は出家してしまう。柏木は病み弱り、死んでゆく。

女三の宮の産んだ子、実は柏木を父とする子だが、その子を大事に育てる源氏である。
・誰が世にか種はまきしと人問はばいかが岩根の松は答へん 光源氏

女三の宮を詠んだ歌である。

  柏木の子を抱くわれの心のうちさしてはなやかならず嘉せど

2024年8月3日(土)

9時半に外気はもう30℃だ。蓼科の乾いた暑さとは違い、ねっとり暑い。

  蟬の声とぎれずに響く白樺の林を自動車(くるま)の窓開け(は)(し)

  蓼科山の容貌みえて女神湖の宿りにしばし憩ふ幾許

  蓼科山は美しき山。伊藤佐千夫も褒めたまひけり

  鶯の鳴く声透る白樺の林に入らむしばしの間

  みづうみをカヌーの列が漕ぎゆかむ向かうの林を映す水面を

『論語』郷黨九 席正しからざれば、坐せず。(必ず整えてから坐られる。)

孔子の行動だろうが、面倒くさくはないかい。ついついそんなことは…と思ってしまう。

  席正しからざれば坐せずと言ふ孔子すこしくうるさくないか

『正徹物語』209 「山ぶみ」とは、山道を踏むことである。「山ぶみ」という詞は、源氏物語に一箇所だけある。右近(夕顔の乳母子)が初瀬へ参詣して、玉蔓に出会ったことを、帰参して源氏に報告するというところで、「あはれなりし山ぶみにて侍りし」と言っているのである。

  隠国の初瀬の寺に参らむとあはれなりにし山ぶみにゆく

『百首でよむ「源氏物語」』第三十五帖 若菜下

柏木にとって女三の宮の身代わりの唐猫。
・恋ひわぶる人のかたみと手ならせばなれよ何とて鳴く音なるらむ 柏木

住吉神社にて宴の座
・住の江の松に夜深くおく霜は神のかけたる木綿蔓かも 紫の上
・神人の手にとりもたる榊葉に木綿かけ添ふる深き夜の霜 明石の女御
・祝子が木綿うちまがひおく霜はげにいちしろき神のしるしか 中務の君

紫の上の体調がよくない。女三の宮の元に居た源氏へ、紫の上不調の連絡が入る。

こうして源氏がいない間に柏木が女三の宮の寝所にもぐりこむ。

女三の宮が懐妊、実は柏木の子であることに源氏は気づく。そ知らぬ顔をして、源氏は柏木に対する。意地の悪い源氏、それに対して罪に怯え、病づく柏木。

  たへだへに病みし柏木に意地悪くふるまふ源氏さもあらむもの