2024年9月20日(金)

36度まで上がるらしい。猛暑日だ。朝から暑い。

  さつきつつじの苗木に絡む蔦の先ひるがほの花はかなげに咲く

  枯れ木の影のごとくに存在感うすきは老いのわれならなくに

  もの言はぬ石の地蔵に並び立つわれに似る像よだれかけして

『論語』顔淵五 司馬牛、憂へて曰く、「人皆兄弟あり、我れ独り亡し。」子夏が曰く「商これを聞く、死生 命あり、富貴 天に在り。君子は敬して失なく、人と恭しくして礼あらば、四時の内は皆兄弟たり。君子何ぞ兄弟なきを患えんや。」

  兄弟のなくて哀しむことなかれ君子は四時みな兄弟なり

『春秋の花』 泉鏡花
・手にとれば月の雫や夏帽子 春陽堂版『鏡花全集』15(1927)

「月の雫」は「露」の異称だが、ここでは月光がパナマか麦麦藁かの上を流れ走る情景の描写である。静的ではなく動的な対象表現が、実に見事に生き生きとしている。
    ↓
・癆咳の頬美しや冬帽子 芥川龍之介
    ↓
・死病得て爪美しき火桶かな 飯田蛇笏
    *
・むらもみぢ灯して行く貉の湯 泉鏡花

  死病得て迷ひありけり死といふもさう遠からず人にあるべし

2024年9月19日(木)

今朝も暑いが、まだ猛暑ではない。

  黒雲の急に来たりて突然に風雨はげしく雷も閃く

  遠方に雷鳴響きたちまちに光の下る尖りものの横

  忽ちに雨量増したる川沿ひの道に沈みし軽トラック

『論語』顔淵四 司馬牛、君子を問ふ。孔子が言ふ。「君子は憂へず、懼れず。」「心配もせず、恐れもしないなら、それで君子と言って宜しいのでしょうか。」孔子は言ふ。「内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂へ何をか懼れん。」

  内に省みて疚しくあらずは何を憂へまた何をか懼れむ

『春秋の花』 川端康成

「二十歳を過ぎた彼は、誰にも始終寂しい後姿を見せてゐるかのやうな印象を与へた。冷たい秋の稲妻のような美しさの思ひ出を残した。呼び止めたくて呼び止められないものであった。」『落葉』(1931)の一節。『落葉』の発表後三十年余後、吉本隆明が、マルクスの五感の形成は今日までの全世界の労作である。」とうい言葉を援用しながら川端晩期の『眠れる美女』を論じた。たしかに川端の文学総体には「呼び止めたくて止められない」「冷たい秋の稲妻のやうな美しさがある。
・みどりすべてみどりのままに去年今年

  文章に宿りしもののきびしさを川端康成に言ひ当てたりき

2024年9月18日(水)

朝から暑い、今日も暑い。

荒川洋治『文庫の読書』。荒川洋治は、短編小説を選択する名手だと思っていたら、文庫本を選ぶこともたいしたものであった。何冊も読みたい文庫本があるが、いつか読める日がくると嬉しい。

  荒川洋治の文庫紹介たのしくて読みたくなるがそれほどは読めず

  このところめっきり落ちたる読書量ひと月に七冊読めばまよし

  むつかしい書物のみにあらず小説の類も数へ月に5冊か

『論語』顔淵三 司馬牛(孔子の門人)、仁を問ふ。孔子が言ふ。「仁者は其の言や訒。」「そのことばがひかえめなら、それで仁といってよいのでしょうか。」孔子が言ふ。「これを為すこと難し。これを言ふに訒なること無きを得んや。」

  仁を為すことの難しさ実践もなすこと難し言ふに訒なれ

『春秋の花』 斎藤茂吉
・朝あけて船より鳴れる太笛のこだまはながし竝みよろふ山 『あらたま』1921
・あはれあはれここは肥前の長崎か唐寺の甍にふる寒き雨
    ↓
・劫初よりつくりいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ 与謝野晶子『草の夢』
・この道や遠く寂しく照れれどもい行き至れる人かつてなし 島木赤彦『太虚集』

  芸術家のたどりし道の険しさのたとへやうなし傑作出でず

2024年9月17日(火)

朝方寒いくらいに涼しかったが、日中はまた暑いらしい。

  薄灰色 に大空は雲多くしてけさは晴れ間も見ることなしに

  雲の端より間違って落つるかポツンポツンは淋しくあらず

  パラソルを空にひらけば音がするタタタンタタタンタンタタタン

『論語』顔淵二 仲弓、仁を問ふ。孔子が言ふ。「門を出でては大賓を見るが如くし、民を使ふには大祭に承へまつるが如くす。己れの欲せざる所は人に施すこと勿れ。邦に在りて怨み無く、家に在りても怨み無し。」仲弓が言った。「雍、不敏なりと雖ども、
請ふ、斯の語を事とせん。

  仁といふは厄介なるに仲弓は不憫なれどもこの語に励まん

『春秋の花』 三島由紀夫
・跳ねてゐる魚は、何か烈しい歓喜に酔ひしれてゐるやうに思はれる。朝子は自分の不幸が不当な気がした。三島由紀夫『真夏の死』(1951)
・行きかけて朝子は振向いた。海は静かである。かなり陸に近い海面に、銀白色に跳躍する光がある。魚が跳ねてゐるのである。」に続けて掲出の一節に結びつく。

「時として凡百の作者が着目しない(着目し得ない)人世の瞬間的実相に着目して凡百の作者が書かない(書き得ない)品の高い何行かを描いた。三島の作は、もっぱらそこに存在理由を持つ。
・私にとっては作家の真の誠実とは、おのれの製作の幸福感に対する、あらはな、恥知らずの誠実に尽きると思はれる。(『日記』より)

  烈しい歓喜に酔ひて跳ぬる魚ただ恥知らずの誠実に跳ぶ

2024年9月16日(月)

朝方は涼しいのだが、汗が多いからもう湿度が上がっているのだろう。

安東次男『藤原定家』読了。定家の八十首の短歌の注釈だが、本歌、類歌などを参考に挙げて読み解き、なるほど定家だと納得して、とても勉強になる。将来、『春秋の花』に次いでここでもこの定家の歌を考えたい。が、もう少し後のことになる。

  まだ落ちず赤花のこる百日紅指標のごとく角かどに立つ

  曲がるところに指標のやうに咲きさかる百日紅あり目指して歩む

  足弱のわれにも道に落ちてゐる赤き花見ゆその上を踏む 

『論語』巻第六 顔淵第十二 一 顔淵、仁を問ふ。孔子が言う。「己れを克めて礼に復るを仁と為す。一日己れを克めて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すこと己れに由る。而して人に由らんや。」顔淵が「請ふ。其の目を問はん。」孔子が言った。「礼に非ざれば視ること勿れ、礼に非ざれば聴くこと勿れ、礼に非ざれば言ふこと勿れ、礼に非ざれば動くこと勿れ。」顔淵の言ふ。「回、不敏なりと雖ども、請ふ、斯の語を事とせん。」

  顔淵との「仁」のやりとり議論好きの孔子喜ぶ生気のありし

『春秋の花』 斎藤緑雨
・泣けといはれて山郭公、闇にうっかりなかれもせぬが、泣くなといはれりゃ猶せきあげて、なかずにゃ居られぬ川千鳥、涙ひとつがままならぬ。 『みだれ箱』1903所収小唄「くぜつ」。

  調子よくうなる広沢虎造の声に煽られ石松が泣く

2024年9月15日(日)

暑い。

茨木のり子『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)。たしかにジュニアにだけは、勿体ない。素敵な現代詩の案内書だ。岸田衿子、石垣りん、永瀬清子などの女性の詩人をはじめ、圧巻は金子光晴「寂しさの歌」、谷川俊太郎「愛」あたりだろうか。たのしい読書だ。

  新宮より天王寺への夜行電車一晩過ごす寝たり起きたり

  天王寺より途中紀伊田辺を降りたるに南方熊楠を調べたりけり

  新宮に速玉大社を拝みて佐藤春夫の記念館ゆく

『論語』先進二六 子路・曾晳・冉由・公西華とがそばにいた。孔子が言った。「私はお前たちより少し年上だからといって、遠慮するな。ふだんいつもは『わたしの真価を知ってくれない。』といっているが、もしだれかお前たちのことを知って用いてくれたとしたら、どうするかな。」子路がいきなり答えていった。「千台を出す程度の国が大国の間にはさまり、戦争が起こり飢饉が重なるという場合に、由がそれを治めれば、三年もたったころには、勇気があって道をわきまえるようにさせることができる。」孔子は、笑った。「求、お前はどうだ。」答えて言った「六、七十里か五、六十里四方のところで求が治めれば、三年もたったころには人民を豊かにならせることができます。礼楽などのことは、それは君子にたのみます。」「赤、お前はどうだね。」お答えした。「できるというのでありません、学びたいのです。宗廟のつとめや諸侯の会合の時、端の服をきて章甫の冠をつけ、いささかの助け役になりたいものです。」

「点、お前はどうだ。」瑟をひいていたのがとまると、カタリとそれをおいて立ち上がり、お答えしていった、「三人のような立派なのと違いますが。」孔子は「気にすることはない。ただ、それぞれに抱負をのべるだけだ。」と言うと「春の終わりごろ、春着もすっかり整うと、五、六人の生年と六、七人の少年をともなって、沂水で湯浴みをし、雨乞いに舞う台地のあたりで涼みをして、歌いながら帰って参りましょう。」と言った。孔子はああと感嘆すると、「私は点に賛成するよ。」と言った。

三人が退出して、曾晳があとに残った。曾晳はたずねた。「あの三人のことばはどうなのでしょうか。」孔子は言った。「ただそれぞれに抱負を述べただけのことだ」「先生はなぜ由のことを笑ったのでしょうか。」「国を治めるには礼によるべきだが、そのことばは不躾だ。そのため笑ったのだ。求の場合でもやはり邦ではないか。六、七里か五、六十里四方で邦でないものがどうしてあろう。赤の場合でも、やはり邦ではないか。宗廟や会合が諸侯のことでないとすればどういうことに鳴ろうか。赤がいささかの助け役になるなら、だれが大きな役になれようか。」

  曾晳が最後に残り孔子に問ふつつましやかがたいせつなこと

『春秋の花』 藤原俊成
・むかし思ふ草の庵のよるの雨に涙な添へそ山ほととぎす 『新古今』巻三所収。

「字余り」の効果――成功的に用いられた場合、それらの詩歌にもたらす堂々たる調べ・沈着な風格――
・人に告ぐる悲しみならず秋草に息白じろと吐きにけるかも 島木赤彦『切火』
・霜百里舟中に我月を領す 与謝蕪村『蕪村句集』
・秋山に落つる黄葉しましくはな散り乱ひそ妹があたり見む 

柿本人麻呂『万葉集』巻二
・おきあかす秋のわかれの袖の露霜こそ結べ冬や来ぬらん 藤原俊成

  草の庵に夜の雨ふりて涙する遠く聞こゆる山ほととぎす

2024年9月14日(土)

今日も暑い。猛烈に暑くなる。もう9月半ばだというのに。

昔の旅を思いだす。夜行列車、歩く、歩く。

  大垣行の夜行列車のボックス席ひとり占めして眠りたりけり

  姿勢窮屈に眠るがゆゑに大垣の駅のホームに伸びをしてゐる

  大垣の駅のホームの水道施設順番を待つ顔洗ふとき

『論語』先進二五 子路、子羔(孔子の門人)をして費の宰たらしむ。孔子が言う。「あの勉強ざかりの若者をだめにしよう。」子路が答えた。「人民もあり、社稷もある。書物を読むことだけが学問だと限ることもないでしょう。」孔子が言う。「これだからあの口達者はきらいだ。

  孔子先生の身の潔癖さ子路のことも佞者とにくむさてさていかに

『春秋の花』 『柳の葉末』川柳集
・長右衛門となりの箱を石で割り 『柳の葉末』(1835)所収
・長右衛門また負ぶってねと三途川

三十八歳の中年男帯屋長右衛門と十四歳の少女信濃屋お半との心中物。桂川へ入水。
・ぬつと入れる所が天の美禄なり
・腹に波打つと抜手で紙を取り

  帯屋長右衛門、信濃屋お半と心中す桂川にてお半背負いて三途の川へ