2024年11月14日(木)

まあまあ晴れてます。

  枯れ落葉、乾反葉踏みて歩みゆく欅枯れたる木の下をゆく

  木の下をゆくとき黄色き枯葉あればはらはらと散る手のひらに受く

  片側に乾反葉たまる径をゆくああこの道は魔界への道

『論語』子路九 孔子、衛に適く。冉有僕たり。孔子の曰く、「庶(人口が多い)きかな。」冉有が言ふ、「既に庶し。又何をか加へん。」孔子曰く、「これを富まさん。」冉有言ふ、「既に富めり。又何をか加へん。孔子曰く、「これを教へん。」

  一国の基盤は人なり人口を増やしてこれに教へんことを

『春秋の花』 生田長江
・ひややかにみづをたたへて
 かくあればひとはしらじな
 ひをふきしやまのあととも  『ひややかに』
     ↓
・春の夜にわが思ふなり若き日のからくれなゐや悲しかりける 前川佐美雄
・あさましく年をかさねて若人のわかさを哂ふ身となりしかな 生田長江
・忽ちに風吹き出でて/燭の灯も消えも行きなば/ふり仰ぎはじめて知るや/中天に
 月のありしを  生田長江『月明』(1926)

  ひややかにみづをたたへしみづうみにこのあつきみをなげいるるべし

  若き日の夢の一つを思ひだす大和の国をあまねく廻る

2024年11月13日(水)

快晴。朝は雲一つなし。

入院時の歌

  大道寺将司の獄中に作りし句情けあり怒りあり喜びもある

  佐渡島に遠島申しつけらるる晩年の世阿弥に終の能の花咲く

  落ち込む地獄の闇は深くしてくちなはがとぐろを巻きて襲ひ来

『論語』子路八 孔子は、衛の公子荊を謂はく、善く室を居く。始め有るに曰はく、苟か合ふ。少しく有るに曰く、苟か完し。富に有るに曰く、苟か美し。」

  孔子曰ふ衛の公子荊は着財のうまくていつもひかへめでよし

『春秋の花』 川端康成
・二十を過ぎた彼は、誰にも始終寂しい後姿を見せているかのやうな印象を与へた。

冷たい秋の稲妻のやうな美しさの思ひ出を残した。呼び止めたくて呼び止められないものであった。『落葉』(1932)の一節。観照的デカダンスの極地に位置するような制作。この初期短編に凝縮している。

『落葉』発表の三十余年後、マルクスの「五感の形成は今日までの全世界史の労作せある。」という言葉を援用しながら『眠れる美女』を論じた。川端の文学総体には「呼び止めたくて呼び止められない」「冷たい秋の稲妻のやうな美しさ」はある。
 *
・みどりすべてみどりのままに去年今年

  冷たくて呼び止めたくても呼び止められぬ秋の稲妻のやうな美がある

2024年11月12日(火)

朝からいい天気だし、気温もそう低くはないようだ。

入院中の歌の続き、

  ここがどこかもわからず常に部屋を出て車椅子に座しただ茫とゐる

  コルセットを勝手に外し歩きだす会社に行かねば爺妄言

  『棺一基』、『世阿弥 最後の花』を読むわが病牀に付箋をはさみ

『論語』子路七 孔子曰く、「魯衛の政は兄弟なり。」

  魯と衛の国の政治は兄弟のやうに似ているこれ真似るべし

『春秋の花』 岩永佐保
・宮城野や乳房にひびく威銃 『海響』(1991)。「威銃」は、〝農作物荒しの鳥獣をおどしておっぱらうために撃つ空砲〟のことであり、「秋」の季語。「乳房にひびく」という精麗なエロティシズム表現のゆえに記憶する。
    ↓
・産みし乳産まざる乳海女かげろふ 橋本多佳子『海彦』
・黒髪もこの両乳もうつし身の人にはもはや触れざるならむ 原阿佐緒『白木槿』
    ↕  
・失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ 中城ふみ子『乳房喪失』

清冽なエロティシズム
    ↓
柳田国男「妹の力」
ゲーテ「永遠に女性的なるもの」

  乳房にはあれどもなくとも力ある「妹の力」も「永遠に女性的なるもの」も

2024年11月11日(月)

朝は曇っていて寒いけれど、晴れて温度も上がってくるらしい。

湯河原の旅の記念に短歌をまとめました。前のものと重なりますが、お読みください。

湯に沈む

  湯河原の源泉掛け流しの湯に浸かりしばしは夢に游ぶわれなり

  紅葉にはいまだ早くて宿の窓風に吹かれて青き竹藪

  竹藪を目路にたどれば青き空狭き空間にひしめく白雲

  鉄塔の建ちたるあたりに湯気ゆらめく源泉ここに涌き出すらしき

  草藪にもかすかに湯気のけむりありここからも涌きだす湯がありにけり

  浴槽(ゆぶね)よりこぼるる湯量をおもひをりこの湯に浸かるわれの体積

  病みて後かくも衰へしわれなるか大腿骨に筋肉あらず

  朝の湯は誰一人なくわれのみにつぎつぎにしたたる湯の輪みてをり

  あしがりの川の激湍の音を聞き(おとがひ)まで沈むこよひたのしき

  湯船にはわが仲間たちの喋りごゑたのしきものよあしがりの湯は

  湯河原温泉敷島館からタクシーに下りくる町は常と変らず

  湯河原駅の土産物屋に温泉饅頭一泊旅の証しとせむか

『論語』子路六 孔子曰く、「其の身正しければ、令せざれども行わる。其の身正しからざれば、令すと雖も従はず。」

孔子先生のおっしゃることのもっともなり身正しからざれば民従はず

『春秋の花』 夏目漱石
・星月夜の光に映る物凄い影から判断すると古松らしい其木と、突然一方に聞こえ出した奔湍の音とが、久しく都会の中を出なかった津田の心に不時の一転化を与へた。彼は忘れた記憶を思ひ出した時のやうな気分になった。

『明暗』の末尾近くの断章。視覚(星月夜、樹木)と聴覚(水流音)とに半々にかかわる描写。それが東京から湯治場への途上の津田由雄に関する情景相伴った卓抜な表現になっている。

*凩や海に夕日を吹き落とす

  古松を吹きすさぶ音と激湍の流れの音の不穏なり

2024年11月10日(日)

十度ちょとしかない。晴れているが寒い。

  もう疾うに尻から消えし蒙古斑なにかうしなふその青き痣

  蒙古斑がいざなふところに于きたしとおもふ日ありぬ(おいぼれ)なれば

  いまごろになぜ思ひだす蒙古斑その青痣を見し父も亡し

  蒙古斑のある幼子の尻たたくわが老い人の尻に移れと

  蒙古斑失へばその魔法のごとき力も失せて凡人になる

『論語』子路五 孔子曰く、「詩経三百編を誦し、これに授くるに政を以てして達せず、四方に使ひして専り対うること能わざれば、多しと雖ども亦た奚を以て為さん。」

  詩経三百編を暗誦するはあたりまへ政務も使者も能はざれば無ぞ

『春秋の花』 伊東静雄
・深い山林に退いて/多く旧い秋らに交ってゐる

今年の秋を/見分けるのに骨が折れる

『わがひとに与ふる哀歌』(1935)所収。第三詩集『春のいそぎ』(1943)の一篇「秋の海」には「昨日妻を葬りしひと/朝の秋の海眺めたり//われがためには 心たけき/道のまなびの友なりしが/家にして 長病みのその愛妻に//年頃のみとりやさしき君なりしとふ」という二節がある。かつて萩原朔太郎は、ほとんど無名のころの伊東を「日本に尚一人の詩人があることを知り、胸の躍るやうな強い悦びと希望をおぼえた。」と手紙で称賛・激励した。その伊東の、自然と人間にたいするたおやかな精神が、山と海との「秋」のこの二編に収斂せられているようである。

  深ぶかと山林をゆけばおのづから旧き秋らに交ざりゐるなり

2024年11月9日(土)

朝から快晴。アイスクリームもような雲がうかぶ。

  鉄塔の建ちたるあたりに湯気ゆらめく源泉ここに涌き出すらしき

  草藪にもかすかに湯気のけむりありここからも涌きだす湯がありにけり

  朝の湯は誰一人なくわれのみに湯に浸りしたたる湯の輪みてをり

  あしがりの川の檄湍の音を聞き湯に沈みをりこよひ心地よき

  湯船には仲間とおもふ人らゐてたのしきものよあしがりの湯は

田山花袋『東京の三十年』を読み終えた。花袋の書いた三十年の間にも大きな変化があったようだが、現在はもっと大きな変化を蒙っている。東京だけではない。世界中のどこもが不自然な変化の対象だ。この書物みhあ国木田独歩、柳田国男などとの交友も記されて、実におもしろい。「過ぎ去った昔よ、なつかし昔よ。」

『東京の三十年』には、時折花袋の自作の短歌が記されている。『論語』『春秋の花』を休む代りに、その歌をあげておこう。
・早稲田町ここも都の中なれど雪のふる夜は狐しばなく

唄の師匠は、松浦辰雄。香川景恒門下。柳田国男、宮崎湖処子も同門。

松浦辰雄の夫人の一首。
・ねさめてもねさめてもなほ長月のあり明の月ぞまどに残れる

再び花袋の歌。
・いたづらに梅のみ白き夕ぐれのこのさびしさをいかにしてまし
・家にあらば月にわぎもがうすけはい草花見にと添ひて行かましを

独歩の死
・梅雨ばれのわらやの軒の日に干せる繭しろき日を君が喪にゐし
・あし曳きの山ふところにねたれどもなほ風寒し落葉乱れて

次の二首。いづれも島崎藤村を思って。
・山口のいで湯の里の春雨の静かなる夜を別れ行くかな
・この春は田舎の里にひとりゐて波の上なる君をしのばん

歌を含めて『東京の三十年』、名著であろう。

2024年11月8日(金)

今日もいい天気。

  湯河原敷島館からタクシーにくだりくる町は常と変らず

  湯河原駅の土産物屋に温泉饅頭一泊旅の証しとせむか

  小田原にロマンスカーを待つあひだうらやましきは会し方々

湯河原から帰ったばかりなので、今日も『論語』『春秋の花』は休載。