2021年4月20日(火)

録画していた「小吉の女房」(NHKBSプレミアム)を見ていたら崇徳院の歌が取り上げられていた。

  花は根に鳥は古巣に帰るなり春のとまりを知る人ぞなき

いい歌ですなあ。

  花も鳥もまだ春さかりひよどりの声鳴き騒ぐ電線の上

  四月二十日朝のひかりのまばゆさにあけぼの杉もひかりをまとふ

2021年4月18日(日)

相模の国海老名と綾瀬の境に五所神社がある。銀杏や椎、楠の大木があり、古風な社である。伝説の日本武尊の腰掛石があって、この「さねさし歌日録」とも無縁ではない。

  楠の木の若葉の枝を落とす風春のあらしは音立ててくる

  風に落ちたる楠の若()を腰かがめ拾はんとする(もり)の参道

  くすの葉をちぎればにほふ香りありはつかながらも樟脳匂ふ

ヤフーの宣伝メールがエアコン付きトラクターを薦めてきた。これを私が買うということか。どんな情報が流れているのだろう。 畑仕事にあこがれはあるがトラクターを買ふ余裕なし年金頼りだ

2021年4月17日(土)

今日は朝からしょぼしょぼ雨だ。父の命日には早いのだが、当日は平日なので今日墓参。墓苑は山ふところのような少し高所にあり、平地から見れば雲がかかっている。おそらく雨であろう。案の定雨であった。

  雲中に父の墓あり花飾りともし火点ずるわれらも雲中

  老いわれの歩みはどこかたよりなく陰陽師に()り禹歩する如き

禹歩(うほ)は、中国の夏の禹王の足が不自由になった時の特殊な歩き方で、それをまねて占いや祭りのときに巫者が用いた。日本では貴人の外出時、邪気を除くために陰陽師が呪文を唱え千鳥足に歩く。二歩目を一歩目より前に出さず、三歩目を二歩目の足で踏みだす歩き方と辞書にはある。やってみるとわかるが、私には無理だ。

2021年4月16日(金)

朝まだ暗いうちからからすがうるさい。秋山佐和子さんから『岡野弘彦全歌集』の解説を書き終えたとい嬉しい電話があった。出版が楽しみである。未刊歌篇が膨大であり、どんな全歌集になるのだろうか。経済面が難題だそうだ。

  何に()きからすは威嚇のこゑに啼くまだ仄暗きあかときなれど

  黒猫に黒揚羽蝶つきづきし銀杏若葉のあかるき樹下に

2021年4月15日(木)

佐江衆一『野望の(かばね)』読了。著者最後の作品、没後の出版である。ヒトラーと石原莞爾を軸に二十世紀前半の戦争の時代を描く史伝である。私が言うのも何だが、戦争の時代を知らない若い世代の人に読んでもらいたい。しかし思えば、世界の秩序、平和を武力によって維持しようとすることは今も変わっていない。佐江衆一の怒りがこの最後の遺作を書かせたのではあるまいか。人類とは過去に学ばないものなのか。なんと阿呆な種族なのだろう。

  早晩に地球滅びむ花みづき

  戦争はほんたうに終わつたのか。佐江衆一『野望の(かばね)』怒りもて読む

  春のみどりに心躍れどいつまでも戦火治まらぬ地球よあはれ

  今日は横須賀短歌会の日であった。横須賀港に日米ともに戦艦の姿は少ない。さてどこへ。不穏である。短歌会の皆さんの作品はよかった。ひさびさの対面での歌会。楽しい日であった。

2021年4月14日(水)

ベニカナメモチの赤い葉の垣があちらこちらにあって目を引くのだが私は好まない。その隣にドウダンツツジの白い壺花を咲かす家垣があってほっとする。

  紅要黐(べにかなめもち)まつ赤な垣に囲はれてここはどこああ狂ひさうになる

  満天星の垣がつづけば少しづつ心平生にもどりつつある