今日は朝から晴天。そして暑い。
鮎の宿失せてさびしき五月かな
晴天の相模の川は色気なし
相模川中流域は河川敷も含めてなんとも色気がない。鮎を食わせる料理宿もとっくのとうになくなった。50年前には厚木東町のわが家の周囲にまだあった芸者屋もなくなって久しい。不愛想な町になってしまったものだ。
相模河原は朝のひかりのまぶしきに水際に鵜の居るそこのみ暗し
ピンク色の夕映えは久しぶりの気がする。
おだやかに暮れゆく夕べ人参に玉葱刻みカレーにするか

今日は朝から晴天。そして暑い。
鮎の宿失せてさびしき五月かな
晴天の相模の川は色気なし
相模川中流域は河川敷も含めてなんとも色気がない。鮎を食わせる料理宿もとっくのとうになくなった。50年前には厚木東町のわが家の周囲にまだあった芸者屋もなくなって久しい。不愛想な町になってしまったものだ。
相模河原は朝のひかりのまぶしきに水際に鵜の居るそこのみ暗し
ピンク色の夕映えは久しぶりの気がする。
おだやかに暮れゆく夕べ人参に玉葱刻みカレーにするか
一日ほぼ曇り空。
葉は濡れて紫陽花の花青き色
紫陽花に水色したたる花咲けば妻はけはしき表情崩す
マンションのめぐりに白き山法師このまま山に跳び移れぬか
椿の実のふたつを拾ふまだ青く硬きいのちを双手に握る
暑くて寝苦しい夜だった。悪夢に目覚める。ビートたけしが指導するアート教室の私は生徒である。優等生だが化けの皮がはがされていく。課題作品ができないのだ。いいきになってるんじゃねえぞとすごまれる。
寝返りをいく度もうつ時に覚めまたねむりつつ安からなくに
黒闇の鎮守の森の椿の花凝つとわれを視る妖しき光
これらは半夢状態でメモした歌だ。一首目はほぼそのままだが、二首目は少し手を入れた。
昨夜の雨風は中庭のさつきを荒し、花や蕊が無惨に散らばっている。
さつき花みてをれば天日くらくなり木々蒼然とゆれはじめたり
向かい家の九階の窓のいつまでも明るくあればわれもねむらず
わが内なる暗黒はこよひ荒れてゐる心嚠喨と吹きとばしたき
今日も昨日と同じように雨がふったり、やんだりで南風も強く蒸し暑い。
この数年、楠原彰先生とその仲間たちとお付き合いがつづいている。國學院の夜学部の学生だったルソー研究会が中心になった集まりだ。この時代の混迷を真摯に考え、生きる人たちの末席に混ぜてもらっている。この行動する人々は信頼できる。そのグループの人々の手作り感満載の文集が今日届いた。『「経験」2021 それぞれの航跡』これが凄い。感動している。
今朝もまた起きては測る体温と血中酸素濃度、血圧まあよし
水饅頭冷やし食ぶる五月なり鬱陶しければ冷たき甘味
すっきり晴れない。大山も朝は雲が動いていたが、いつのまにかすっかり雲の中だ。
山塊の鞍部にたまる雲なびき白蛇おもむろに太るがごとき
キッチンのシンクに一つ苺の蔕だれだかくれていのちを喰ふは
三婆の一人はやはり失せたるか縁に座したる二人犬抱く
昨夜、俳優・田村正和の訃報を知った。4月3日のことだったそうだ。77歳。田村正和といえば、私は眠狂四郎である。この人の演ずる狂四郎が好きだった。たまたま『新編 眠狂四郎京洛勝負帖』を読んでいたところ。偶然か。いや……。
遠ざかる痩身眠狂四郎妻をうしなふ孤影さびしき
降りだせば雨に濡るるもよしとせむ田村正和この世にしなし
なんとなくシャンソンを聴きたき昼の雨ジュリエット・グレコを幾度も流す