



















ひさびさに朝から晴れている。う~ん、気持ちの良い空だ。JR相模線の音も心地よい。
われが軀にまつはりきたる蜆蝶小さきものは誰がたましひ
清らなる水色の蝶まつはり来今泉重子汝がたましひか
曇天にくろぐろと立つあけぼの杉夕暮れなればあやしき葉むら
『論語』顔淵二二 樊地、仁を問ふ。孔子曰ふ。「人を愛す。知を問ふ。」孔子曰ふ。「人を知る。樊地未だ達せず。」孔子曰ふ。「直きを挙げて諸れを枉れるに錯けば、能く枉れる者をして直からしめん。」
樊地退きて子夏に見へて曰く、「嚮に吾れ夫子(孔子)に見へて知を問ふ、子(孔子)の曰はく、「直きを挙げて諸れを枉れるに錯けば、能く枉れる者をして直からしめん」と。「何の謂いひぞや。」子夏が曰く、「富めるかな、是の言や。舜、天下を有ち、衆に選んで皐陶を挙げしかば、不仁者は遠ざかれり。湯、天下を有もち、衆に選んで伊尹を挙げしかば、不仁者は遠ざかれり。」
樊地には孔子の言はむつかしく子夏説くところ具体的なり
『春秋の花』 吉井勇
・秋のかぜ馬楽ふたたび狂へりと云ふ噂などつたへ来るかな 『昨日まで』1913
馬楽は落語家。吉井の短歌といえば、なぜかまず掲出歌を思い出す。
・秋の夜に紫朝を聞けばしみじみとよその恋にも泣かれぬるかな
・うつらうつらむかし馬楽の家ありしところまで来ぬ秋の夜半に
*
・夏ゆきぬ目にかなしくも残れるは君が締めたる麻の葉の帯
金木犀の香りも失せて秋になるなぜかさびしき夕暮れ時は
朝、雨。晴れてくるらしいけれど。晴れてきた。久しぶりの太陽だ。
雲古でてため息ついてこれの世にああ生きてゐるたのしきろかも
さねさしの野は観るかぎりロジテックス・物流倉庫ばかり色気もなくて
コーヒーのカップ片手に九階の窓に見わたすさねさしの野を
卓上に湯気たちのぼる珈琲の香りただよふ朝目覚めたり
『論語』顔淵二一 樊遅従ひて舞雩の下(雨乞いに舞う台地)に遊ぶ。曰く、「敢て徳を崇くし慝を脩め惑ひを弁ぜんことを問ふ(徳を高め邪悪をのぞき迷いをはっきりさせること)。」孔子曰く、「善きかな、問ふこと。事を先にして得ることを後にするは、徳くするに非ずや。其の悪を攻めて人の悪を攻むること無きは、慝を脩むるに非ずや。一朝の忿りに其の身を忘れて以て其の親に及ぼすは、惑ひに非ずや。」
舞雩のもとに樊遅もの問ひ孔子応ふその問ひこそが徳に非ずや
『春秋の花』 江馬細香
・愛養ス清貞ノ質/人無キモ亦馥シ/知ラズ空谷ノ裏/我ガ寒閨ト孰レゾ
『湘夢遺稿』(1871)所収五絶『養蘭』。巻末には後藤松陰の『細香女子墓誌名』が収録せられていて、その中には「女子、(中略)而シテ又、慨然トシテ憂国ノ気アリ、髭眉ノ丈夫ヲシテ愧色有ラシム。」の文言が存する。『北九州炭坑節』的「俗情」にたいする真正フェミニストの毅然たる一撃ならんか。
・人ハ静カナル寒閨、月ハ廊ヲ転ル/書課ヲ了来レバ漏声長シ/炉ヲ撥キ喜ンデ見ル紅ナホ在ルヲ/又残燈ヲ剔テテ読ムコト幾行ゾ 「冬夜」
慨然として憂国の気ある江馬細香扱ひ難きところあるべし
朝曇り、やがて雨になるらしい。
荒川洋治『文学の空気のあるところ』。荒川洋治は、詩人として『水駅』以来のファンだが、近年の本や文庫に関するものもおもしろく、この講演録もおもしろかった。
読んで語る荒川洋治の講演録たのしき世界へわれらを連れて
文学の空気のあるところ彼方此方に探せばまだある昭和、平成
『水駅』の箱入本がわが自慢渋谷の街に手に入れにけり
『論語』顔淵二〇 子張問ふ。「士如何なれば斯れこれを達と謂ふべき。」孔子が言ふ。「何ぞや、爾の所謂達とは。」子張対へて言ふ、「邦に在りても必ず聞こへ、家に在りても必ず聞こゆ。」孔子が言ふ。「是れ聞(評判)なり、達に非ざるなり。夫れ達なる者は、質直にして義を好み、言を察して色を観、慮つて以て人に下る。邦に在りても必ず達し、家に在りても必ず達す。夫れ聞なる者は、色に仁を取りて行ひは違ひ、これに居りて疑はず。邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞こゆ。」
達なる者は邦にありても家にありても必ずきこゆ
聞なる者はうはべこそ仁らしくして評判ばかり
『春秋の花』 生田長江
・ひややかにみづをたたへて/かくあればひとはしらじな/ひをふきしやまのあととも
火口湖が詠ぜられたにちがいなかろう…
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・春の夜にわが思ふなり若き日のからくれなゐや悲しかりける 前川佐美雄
・あさましく年を重ねて若人のわかさを哂ふ身となりしかな 生田長江
・忽ち風吹き出でて/燭の灯の消えも行きなば/ふり仰ぎはじめて知るや/中天に月のありしを」『月明』1926
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・たちつくしものをおもへば/ものみなのものがたりめき/わがかたにつきかたぶきぬ 『たちつくし』
たちつくしひとをおもへばかなしくてわかるることのたしかなりけり
朝から雨。
雨降れば遠山並みの雲の中誰か越えけむ果無山脈
修行者のごときと道にすれ違ふ夢なれど峠越えてゆくとき
「虹計画」ひそかに企みありしこと小田急線が音たてて過ぐ
『論語』顔淵一九 季康子、政を孔子に問ひて曰く、「如し無道を殺して以て有道に就かば、如何。」孔子対へて曰く、「子、政を為すに、焉んぞ殺を用ひん。子、善を欲すれば、民善ならん。君子の徳は風なり、小人の徳は草なり。」
君子の徳は風にして小人の徳は草なりき草は風に必ずなびく
『春秋の花』 高山樗牛
・嘲風、佳耦をむかへて室に芬蘭のにほひあり。われ、残燈にむかひ、孤影蕭然として今も尚ほ「はいね」を読む。
美文『わがそでの記』の結末。親友、姉崎嘲風の結婚にたいする祝辞。芥川龍之介は樗牛ぎらいであったが、大学卒業後読み直し見なおしたらしい。高見順の『如何なる星の下に』の標題は『わがそでの記』に由来したらしい。
姉崎嘲風佳耦をむかへ扮蘭たりしかるに今も「はいね」読みをり