朝から晴れ、温度も高い。
TシャツにYシャツかさね歩きだすハツ子とともにかろやかに行く
障碍者手帳は常にバッグの中ときをりハツ子を意識しつつ
朝から晴れ、温度も高い。
TシャツにYシャツかさね歩きだすハツ子とともにかろやかに行く
障碍者手帳は常にバッグの中ときをりハツ子を意識しつつ
今日は朝から雨だ。しとしとと降りつづく。
朝初の蛇口を開けて湯になるまで水の流れの変化妙なり
電柱の陶製碍子にふる雨の白くながるる雨にかがやく
午後、雨が止む時間があったので、川を見に行く。
曇天に野あざみ見つけふり返る
雨ふれば寒きか軀を寄せ野良五匹しばし見詰めてわれに近づく
心臓ペースメーカー・ハツ子がわが体内に同居するようになって、昨日で半年。だいぶ慣れたが、まだ完全に同化したとはいえないようだ。今日は曇天。
風呂の湯に浅く浸かりし時におもふわが心ノ臓を動かすハツ子
わがハツ子よ少しはこの軀に馴れたるかともに携へ半年を経る
路傍には小さな小さな春紫苑近くを人が歩めばゆるる
カラス鳴く声におどろきベランダにさねさし曇天けふも暮れゆく
曇り空である。今朝も夢を見た。しかし悪夢ではなかった。愉しい夢だ。内容は秘密にしておこう。金髪女性がいた。
さくらの実熟れ落ちたるがつぶれたり赤き惨劇の跡踏みて行く
夕飯の買い物に海老名駅まで歩く。およそ4500歩。帰りは一駅電車で戻る。
海老名駅のホームのベンチに悄然と腰をおろしてため息もらす
永井荷風『つゆのあとさき』読了。まあ昔の話ではありますが、いつの時代も男も女もどうしょうもないものですなあ。作家である清岡進など許しがたいバカ者だが、人間とはこんなものなんでしょう。女給の君江の奔放さも小説の最後の方になると愛らしいものに思えてくるからおもしろいものです。荷風いいですね。
男も女もしやうもないものとおもひしが厭ふてもどこか愛らしくして
便壺にけさの雲古のうづくまる。色よし 形よし 臭ひ、まあよし
今日も橋を渡って隣町へ散歩したのだったが、その橋の欄干にイカルの群れが飛び上がってきた。目の前である。あんなに近くイカルを見たのははじめてだ。昨日のつばめといい、このイカルも、私は鳥に愛されている?鳥だと思われている?
橋の上に河川敷覗けばイカルの群れ飛び上がりくる黄の嘴と脚
九階のベランダに立つわが顔の間近をすぎてつばめ翻る
エアコン工事本番、作業員は、予想に反してたった一人だった。しかしその水際立った技能は見ていて圧倒された。古くなったエアコンを外し、あたらしいものに変えてゆく力技、室内機と室外機をつなぐドレインをカバーに入れる微妙な技巧、なかなかの見ものだった。結局2時間かかった。
エアコンの工事の日なり朝の風少しつよいが晴天である
ここにもすぐれた人間の技があるTシャツの胸厚き青年
朝刊を1Fのポストまで取りに行く日々の馴ひなれどマスクを忘る
黄砂のためか風景が霞んでいる。それでも海老名高校の裏あたりの田んぼの畔に立つとうっすらと霞んだまだ白い富士のいただきが遠望できる。
田の畔に立てば五月の空ひろく黄砂にかすむ白き富士が峯
五月八日の大谷水門に水あふれひかりもあふれ蛙鳴きだす
大けやきの下にあそぶ子繁り葉のみどりに映えて肌へ蒼白き子
七、八歳の肌の白い、目の大きな美少年であった。
そうだ忘れていた。今朝も夢を見た。いつもの駅周辺だ。だが今日は悪夢にはならなかった、代わるがわる同行者がいた。最後は若き日のいしだあゆみさんだった。無事に駅に行き着いたところで目が覚めた。なぜいしだあゆみだったのだろう。私が小学6年生だった頃に流行っていた「ブルーライト横浜」には忘れられない思い出があるが。