2024年11月12日(火)

朝からいい天気だし、気温もそう低くはないようだ。

入院中の歌の続き、

  ここがどこかもわからず常に部屋を出て車椅子に座しただ茫とゐる

  コルセットを勝手に外し歩きだす会社に行かねば爺妄言

  『棺一基』、『世阿弥 最後の花』を読むわが病牀に付箋をはさみ

『論語』子路七 孔子曰く、「魯衛の政は兄弟なり。」

  魯と衛の国の政治は兄弟のやうに似ているこれ真似るべし

『春秋の花』 岩永佐保
・宮城野や乳房にひびく威銃 『海響』(1991)。「威銃」は、〝農作物荒しの鳥獣をおどしておっぱらうために撃つ空砲〟のことであり、「秋」の季語。「乳房にひびく」という精麗なエロティシズム表現のゆえに記憶する。
    ↓
・産みし乳産まざる乳海女かげろふ 橋本多佳子『海彦』
・黒髪もこの両乳もうつし身の人にはもはや触れざるならむ 原阿佐緒『白木槿』
    ↕  
・失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ 中城ふみ子『乳房喪失』

清冽なエロティシズム
    ↓
柳田国男「妹の力」
ゲーテ「永遠に女性的なるもの」

  乳房にはあれどもなくとも力ある「妹の力」も「永遠に女性的なるもの」も

2024年11月11日(月)

朝は曇っていて寒いけれど、晴れて温度も上がってくるらしい。

湯河原の旅の記念に短歌をまとめました。前のものと重なりますが、お読みください。

湯に沈む

  湯河原の源泉掛け流しの湯に浸かりしばしは夢に游ぶわれなり

  紅葉にはいまだ早くて宿の窓風に吹かれて青き竹藪

  竹藪を目路にたどれば青き空狭き空間にひしめく白雲

  鉄塔の建ちたるあたりに湯気ゆらめく源泉ここに涌き出すらしき

  草藪にもかすかに湯気のけむりありここからも涌きだす湯がありにけり

  浴槽(ゆぶね)よりこぼるる湯量をおもひをりこの湯に浸かるわれの体積

  病みて後かくも衰へしわれなるか大腿骨に筋肉あらず

  朝の湯は誰一人なくわれのみにつぎつぎにしたたる湯の輪みてをり

  あしがりの川の激湍の音を聞き(おとがひ)まで沈むこよひたのしき

  湯船にはわが仲間たちの喋りごゑたのしきものよあしがりの湯は

  湯河原温泉敷島館からタクシーに下りくる町は常と変らず

  湯河原駅の土産物屋に温泉饅頭一泊旅の証しとせむか

『論語』子路六 孔子曰く、「其の身正しければ、令せざれども行わる。其の身正しからざれば、令すと雖も従はず。」

孔子先生のおっしゃることのもっともなり身正しからざれば民従はず

『春秋の花』 夏目漱石
・星月夜の光に映る物凄い影から判断すると古松らしい其木と、突然一方に聞こえ出した奔湍の音とが、久しく都会の中を出なかった津田の心に不時の一転化を与へた。彼は忘れた記憶を思ひ出した時のやうな気分になった。

『明暗』の末尾近くの断章。視覚(星月夜、樹木)と聴覚(水流音)とに半々にかかわる描写。それが東京から湯治場への途上の津田由雄に関する情景相伴った卓抜な表現になっている。

*凩や海に夕日を吹き落とす

  古松を吹きすさぶ音と激湍の流れの音の不穏なり

2024年11月10日(日)

十度ちょとしかない。晴れているが寒い。

  もう疾うに尻から消えし蒙古斑なにかうしなふその青き痣

  蒙古斑がいざなふところに于きたしとおもふ日ありぬ(おいぼれ)なれば

  いまごろになぜ思ひだす蒙古斑その青痣を見し父も亡し

  蒙古斑のある幼子の尻たたくわが老い人の尻に移れと

  蒙古斑失へばその魔法のごとき力も失せて凡人になる

『論語』子路五 孔子曰く、「詩経三百編を誦し、これに授くるに政を以てして達せず、四方に使ひして専り対うること能わざれば、多しと雖ども亦た奚を以て為さん。」

  詩経三百編を暗誦するはあたりまへ政務も使者も能はざれば無ぞ

『春秋の花』 伊東静雄
・深い山林に退いて/多く旧い秋らに交ってゐる

今年の秋を/見分けるのに骨が折れる

『わがひとに与ふる哀歌』(1935)所収。第三詩集『春のいそぎ』(1943)の一篇「秋の海」には「昨日妻を葬りしひと/朝の秋の海眺めたり//われがためには 心たけき/道のまなびの友なりしが/家にして 長病みのその愛妻に//年頃のみとりやさしき君なりしとふ」という二節がある。かつて萩原朔太郎は、ほとんど無名のころの伊東を「日本に尚一人の詩人があることを知り、胸の躍るやうな強い悦びと希望をおぼえた。」と手紙で称賛・激励した。その伊東の、自然と人間にたいするたおやかな精神が、山と海との「秋」のこの二編に収斂せられているようである。

  深ぶかと山林をゆけばおのづから旧き秋らに交ざりゐるなり

2024年11月9日(土)

朝から快晴。アイスクリームもような雲がうかぶ。

  鉄塔の建ちたるあたりに湯気ゆらめく源泉ここに涌き出すらしき

  草藪にもかすかに湯気のけむりありここからも涌きだす湯がありにけり

  朝の湯は誰一人なくわれのみに湯に浸りしたたる湯の輪みてをり

  あしがりの川の檄湍の音を聞き湯に沈みをりこよひ心地よき

  湯船には仲間とおもふ人らゐてたのしきものよあしがりの湯は

田山花袋『東京の三十年』を読み終えた。花袋の書いた三十年の間にも大きな変化があったようだが、現在はもっと大きな変化を蒙っている。東京だけではない。世界中のどこもが不自然な変化の対象だ。この書物みhあ国木田独歩、柳田国男などとの交友も記されて、実におもしろい。「過ぎ去った昔よ、なつかし昔よ。」

『東京の三十年』には、時折花袋の自作の短歌が記されている。『論語』『春秋の花』を休む代りに、その歌をあげておこう。
・早稲田町ここも都の中なれど雪のふる夜は狐しばなく

唄の師匠は、松浦辰雄。香川景恒門下。柳田国男、宮崎湖処子も同門。

松浦辰雄の夫人の一首。
・ねさめてもねさめてもなほ長月のあり明の月ぞまどに残れる

再び花袋の歌。
・いたづらに梅のみ白き夕ぐれのこのさびしさをいかにしてまし
・家にあらば月にわぎもがうすけはい草花見にと添ひて行かましを

独歩の死
・梅雨ばれのわらやの軒の日に干せる繭しろき日を君が喪にゐし
・あし曳きの山ふところにねたれどもなほ風寒し落葉乱れて

次の二首。いづれも島崎藤村を思って。
・山口のいで湯の里の春雨の静かなる夜を別れ行くかな
・この春は田舎の里にひとりゐて波の上なる君をしのばん

歌を含めて『東京の三十年』、名著であろう。

2024年11月8日(金)

今日もいい天気。

  湯河原敷島館からタクシーにくだりくる町は常と変らず

  湯河原駅の土産物屋に温泉饅頭一泊旅の証しとせむか

  小田原にロマンスカーを待つあひだうらやましきは会し方々

湯河原から帰ったばかりなので、今日も『論語』『春秋の花』は休載。

2024年11月7日(木)

いい天気であった。

『左川ちか詩集』を読む。日本のモダニズムに現れた奇跡の詩人とおびにあるが、この夭折の女性詩人(1911~36)は、なかなかすばらしい。好きな章句はたくさんある。「いたづらな天使等が入り乱れてステップを踏む其処から死のやうに白い雪の破片が落ちて来る。」(「雪が降つてゐる」)

  湯河原の源泉掛け流しの湯に浸かりしばしのあひだ夢に游ぶ

  紅葉にはいまだ早くて宿の窓風に吹かれて青き竹藪

  竹藪を目路にたどれば青き空狭き空間にひしめく白雲

今日は、楠原先生とその仲間たち会うために湯河原を訪ねた。そのため『論語』『春秋の花』はお休みさせてもらう。

2024年11月6日(水)

寒くなってきた。曇りがちだが、晴れることもある。

  風にゆれ、枯れ葉舞ひ散る欅なり黄色、茶褐色の葉を落としたり

  公園の中央に立つ欅の木秋なればつぎつぎに葉を散らしをり

  靴底に踏めば底ごもる秋の音けやき落ち葉のかなしきさ鳴り

楳図かずおが死んだという。10月28日。行年88。
楳図かずおよ死んではならぬもつともつと(あ)を怖がらせ恐怖を呼ばふ

『論語』子路四 樊遅、稼(穀物づくり)を学ばんと請ふ。孔子曰く「吾れ老農に如かず。」圃(野菜づくり)を為ることを学ばんと請ふ。孔子曰ふ「吾れは老圃に如かず。」樊遅出ず。孔子曰く「小人なるかな、樊須や。上礼を好めば、則ち民は敢て敬せざること莫し。上義を好めば、則ち民は敢て服せざること莫し。上信を好めば、則ち民は敢て情を用ひざること莫し。夫れ是くの如くんば、則ち四方の民は其の子を襁負して至らん。焉んぞ稼を用ひん。」

  樊遅はなんとも小人なり稼や圃などと細かく言ふな

『春秋の花』 後醍醐天皇
・聞きわびぬはつきながつき長き夜の月のよさむにころもうつこゑ 『新葉集』

選者の「元弘三年(1323年)九月十三夜三首の歌講ぜられしとき月前擣衣といふことを」と前書きにあり、「題詠」である。欧陽修が梅堯臣の詩を称揚して「梅ノ詩、物ヲ詠ジテ情ヲ隠サズ」と歌ったような特色が、この一首にもある。毎年「はつきながつき」すなわち旧暦八月九月の候、私は、きっと掲出歌を想起する。これも、また、小学校低学年時代以来のわが愛唱歌である。
・事問はん人さへ稀になりにけり我世の末の程ぞ知らるる

  知らぬまにはつきながつきすぎてゐるいつか夜寒にひとりさめをり