2024年11月21日(木)

雨は上がったが、寒いのだ。

  大空をさざ波なして退きゆかむ雲の末端にひかりありけり

  黒雲が灰色となり雲ほどけ青き空みゆ大山絶巓

  峡ごとに白雲溶くるごとくなり山肌低く流れゆくなり

『論語』一三 孔子曰く、「苟も其の身を正しくせば、政に従ふに於いてか何か有らむ。其の身を正しくすること能はざれば、人を正しくすることを如何せむ。」

  いやしくも身を正しくせば政のおいても恐れることなし

『春秋の花』 吉本隆明
「また、晩年まで老いずにじりじりとのぼりつめて、ばたりと倒れた大家もいる。たとえば夏目漱石であり森鴎外である。」『詩的乾坤』(1974)「感性の自殺」の断章。
「私は、吉本の自愛を切に念ずる。」
  *
「それから/世界の病巣には美しい打撃を/あたえねばならぬ 「崩壊と再生」終節。

  晩年まで老いずにのぼりつめるがよいかおのづからに任せることもよいではないか

2024年11月20日(水)

朝から雨である。ずっと降るらしい。

  笑ひ茸、泣き茸、怒り茸、迷ひ茸、死に到る茸なべて毒あり

  紅葉の季節は毒もつ茸の季節またひとり森より迷ひ出でたり

  狂ひやすき人は狂ひて踊りだす月のある夜は茸が笑ふ

『論語』子路一二 孔子が言ふ。「如し王者あるも、必ず世にして後に仁ならむ(もし天命をうけた王者が出ても、今の乱世ではきっと一代(30年)たってはじめて仁の世界になるのだろう。

  この世では王者になりても一代後はじめて仁の世の中になる

『春秋の花』 西行
・年たけて又こゆべしと思ひきやいのちなりけりさ夜の中山 『山家集』所収

「勝手にしろとでもいう外ない傑作」
・ゆく水のすべて過ぎぬと思ひつつあはれふたたび相見つるかも 
古泉千樫『屋上の土
  *
あはれいかに草葉の露のこぼるらむ秋風立ちぬ宮城野の原

  宮城野のすすき原ゆくわが父のたましひか銀の蓬けたる影

2024年11月19日(火)

晴れているが、寒い。

大岡昇平『小林秀雄』読了。小林秀雄がフランス語の家庭教師だった時代から、もっとも身近にいた大岡の小林秀雄について書いたものの集成である。小林論ではなく、小林秀雄の風貌が立ち上がってくるようなエッセイを集めたもので、おもしろかった。

  古き京の烏丸御池の四辻に欅落葉の堆き暈

  京都には異人多くして飛び交えることば判別らずいらいらとする

  大きビルの一階部分の小スペース本格的な蕎麦屋へ入らむ

『論語』子路一一 孔子が言った。「善人(聖人ではなく)、邦を為むること百年、亦以て残に勝ちて殺を去るべしと(百年も国を治めていれば、あばれ者をおさえ死刑をなくすることができるというが)。誠なるかな、是の言や。

  しかしながら百年の政があるものかあばれ者も死刑もなくなるといふが

『春夏の花』 樋口一葉
・……吉は涙の眼に見つめて、お京さん後生だから此肩の手を放しておくんなさい。

『わかれ道』(1896)の結び。「人生の岐路」
  *
・来て止まる蝶もありけり凋み花

  一葉の使ひし井戸のここにあり昔むかしに妻とゆきしが

2024年11月18日(月)

今日は曇天。夕刻からは晴れて来るようだ。

京都へ二泊、無事帰ってきた。紅葉には少し早かった。しかし街路の欅の葉は散りはじめていた。

  街路樹の高木の欅の葉は落ちて茶色に色づく乾反葉を踏む

  ちらりちらり欅の散る御池通り足弱のわれと妻が携へ

  旧友二人と料理屋の個室に会をもつたのしき時間たちまちに過ぐ

『論語』子路一〇 孔子曰く、「苟も我れを用ふる者あらば、期月のみにして可ならむ。三年にして成すこと有らむ。」
孔子はなかなかに自信家だ。

  かりそめに孔子を用ふる者あらば一年にしてよろしきが三年あらば十分ならむ

『春秋の花』 金子薫園
・秋くればまづ君がうへしのばれぬ桐もひと葉ののきのゆふ風 

『かたわれ月』(1901)所収。「うせし一葉女史をしのびて」という詞書が付いている。樋口一葉が粟粒結核で夭逝したのは、その四年前の十一月。若い薫園が一葉を敬愛してのは極めて自然であったろう。
・雲井より笙の音すなり君はいま月のみふねに棹やさすらむ 『かたわれ月』
 *
・うつし世に汝と山河の巡礼に出でむ日もがな空のうららかさ

  一葉女史の死を弔ひて鷗外もわかき薫園も惜しみたりけり

2024年11月14日(木)

まあまあ晴れてます。

  枯れ落葉、乾反葉踏みて歩みゆく欅枯れたる木の下をゆく

  木の下をゆくとき黄色き枯葉あればはらはらと散る手のひらに受く

  片側に乾反葉たまる径をゆくああこの道は魔界への道

『論語』子路九 孔子、衛に適く。冉有僕たり。孔子の曰く、「庶(人口が多い)きかな。」冉有が言ふ、「既に庶し。又何をか加へん。」孔子曰く、「これを富まさん。」冉有言ふ、「既に富めり。又何をか加へん。孔子曰く、「これを教へん。」

  一国の基盤は人なり人口を増やしてこれに教へんことを

『春秋の花』 生田長江
・ひややかにみづをたたへて
 かくあればひとはしらじな
 ひをふきしやまのあととも  『ひややかに』
     ↓
・春の夜にわが思ふなり若き日のからくれなゐや悲しかりける 前川佐美雄
・あさましく年をかさねて若人のわかさを哂ふ身となりしかな 生田長江
・忽ちに風吹き出でて/燭の灯も消えも行きなば/ふり仰ぎはじめて知るや/中天に
 月のありしを  生田長江『月明』(1926)

  ひややかにみづをたたへしみづうみにこのあつきみをなげいるるべし

  若き日の夢の一つを思ひだす大和の国をあまねく廻る

2024年11月13日(水)

快晴。朝は雲一つなし。

入院時の歌

  大道寺将司の獄中に作りし句情けあり怒りあり喜びもある

  佐渡島に遠島申しつけらるる晩年の世阿弥に終の能の花咲く

  落ち込む地獄の闇は深くしてくちなはがとぐろを巻きて襲ひ来

『論語』子路八 孔子は、衛の公子荊を謂はく、善く室を居く。始め有るに曰はく、苟か合ふ。少しく有るに曰く、苟か完し。富に有るに曰く、苟か美し。」

  孔子曰ふ衛の公子荊は着財のうまくていつもひかへめでよし

『春秋の花』 川端康成
・二十を過ぎた彼は、誰にも始終寂しい後姿を見せているかのやうな印象を与へた。

冷たい秋の稲妻のやうな美しさの思ひ出を残した。呼び止めたくて呼び止められないものであった。『落葉』(1932)の一節。観照的デカダンスの極地に位置するような制作。この初期短編に凝縮している。

『落葉』発表の三十余年後、マルクスの「五感の形成は今日までの全世界史の労作せある。」という言葉を援用しながら『眠れる美女』を論じた。川端の文学総体には「呼び止めたくて呼び止められない」「冷たい秋の稲妻のやうな美しさ」はある。
 *
・みどりすべてみどりのままに去年今年

  冷たくて呼び止めたくても呼び止められぬ秋の稲妻のやうな美がある