2024年12月5日(木)

明けがた雲が多く寒かったが、やがて晴れて気温も上がってくるらしい。

  山茶花の花の白きが五弁にひらく冬の賜物この美しさ

  紅の花つけて山茶花ひらきたる少し古ければ花弁を散らす

  垣に添うて赤、白の花咲き並ぶ山茶花美し冬この季節

『論語』子路二七 孔子曰く「剛毅朴訥、仁に近し。」
端的でいい言葉である。そして、そのとおりだ。

  剛毅朴訥よき言葉なりかくあれば仁徳に近し疑ひもなく

『春秋の花』 太宰治
・一万五千円の学費つかって、学問して、さうして、おぼえたものは、ふたり、同じ烈しき片思ひのまま、やはりこのまま、わかれよ、といふ、味気ない理性、むざんの作法。 『二十世紀旗手』(1936)の断章。主人公の苦い「自嘲」がある。大学出の「自嘲」。大西巨人『神聖喜劇』第四部の断章、そこには主人公の烈々たる「他嘲」がある。
 *
「生活とは何ですか。」/「わびしさに堪へることです。」随想『かすかな声』

  一万五千円の学費を使っておぼえしは味気ない理性むざんの作法

2024年12月4日(水)

今日も朝は寒いが、晴れてくるようだ。

島尾敏雄・吉田満の対談『新編特攻体験と戦後』(中公文庫)。詳しくは本を読んでもらいたい。二人の特攻体験の違いと共通点が葛藤するように捩れ合って、実に奇妙な対談で、興味深いのだ。付録に付けられた橋川文三、吉本隆明、鶴見俊介の文章もどれも興味深い。

  池におよぐ鯉食ふこともなくなりて泥臭き身を喰はずてもよし

  赤白の鯉の泳ぐに餌をやるわが足もとに鯉があつまる

  集団になりたる鯉のおそろしさある鯉は全身を宙に踊らす

『論語』子路二六 孔子曰く「君子は(ゆたか)にして(おご)らず、小人は驕りて泰かならず。」

  孔子曰く君子は落ち着きいばらない対して小人いばっておちつかず

『春秋の花』 佐藤春夫
・顔はまっしろけで/こころは魔もの/抱かれ心地はこの上ないが/聞けば逢ふには命がけ  詩集『魔女』(1931)所収「俗謡『雪をんな』」掲出詩は、ずいぶん軽妙な出来栄えであり、なかなか魅力的な表出である。
 *
・さまよひくれば秋ぐさの/一つのこりて咲きにけり、/おもかげ見えてなつかしく/手折ればくるし、花ちりぬ。 詩『断章』

  外面如菩薩内心如夜叉若きをみなはみなかくのごとし

2024年12月3日(火)

朝は寒いが、以降は快晴、暖かい。

  おとろへて瑠璃の浄土をおもひをり心弱りかさうでもあるまい

  褐色の多く雑れるあけぼの杉じきに冬木に変る木の下に立つ

  (はちす)の弁のつらなる円形の(うてな)に坐す大日如来のきびしき表情

『論語』子路二五 孔子が言う「君子は事へ易くして説ばしめ難し。これを説ばしむるに道を以てせざれば、説ばざるなり。其の人を使うに及びては、これを器にす。小人は事へ難くして説ばしめ易し。これを説ばしむるに道を以てせずと雖ども、説ぶなり。其の人を使うに及びては、備はらんことを求む。」

  君子をば説ばしむること難し道以てこそよろこぶものを

『春秋の花』 斎藤史
・かそかなる心ほのめき粧へりぼたん雪ふり華やかなるも 『朱天』(1943)所収。

「雪の日における女性の内面の寂寥と外面の華やぎと。」
・ねむりの中にひとすぢあをきかなしみの水脈ありそこに降る夜のゆき

  雪のふる時少なきにふりだせば心はなやぐ、かなしみもあり

2024年12月2日(月)

晴れ。

『古事記』の現代語訳を読む(岩波現代文庫)。蓮田善明が訳したものだが、戦前国文学者としての活躍があり、招集されてマレー半島で敗戦を迎える。しかし、敗戦の責任を天皇に帰し、日本精神の壊滅を説く上官を射殺、自らも拳銃で自殺。ある意味「狂」を実現する。三島由紀夫の師のひとりであり、あの事件の誘いになった行為に危ないものを感ずる人もいるだろうが、この訳文は率直なものであり、詩歌の訳は俗っけもあって洒脱で楽しめる。いい訳本である。『古事記』を現代語訳で読むといったら、この一冊を薦める。

  軒近きところに見ゆる青空に淡き雲浮く夢のごとくに

  あけがたの雲多き空を見はるかすひむがしは闇いまだくらきに

  柊の小さき白き花あまた香る道まがり冬に入りゆく

『論語』子路二四 子貢問ひて曰く「郷人皆これを好みせば如何。」孔子曰く「未だ可ならざるなり。」「郷人皆これを悪まば如何。」孔子曰く「未だ可ならざるなり。郷人の善き者はこれを好し、其の善からざる者はこれを悪まんには如かざるなり。」

  郷人が皆これを好む、あるいは悪むいづれにしてもよからんものぞ

『春秋の花』 森鷗外
・僕にお金が話す時、「どうしても方角がしっかり分からなかったと云ふのが不思議ぢゃありませんか」と云ったが、僕は格別不思議にも思はない。聴くと云ふことは空間的感覚ではないからである。」 『心中』(1911)の断章。

〝『心中』は、鷗外作短編中の白眉であり、また近代日本短編中の屈指である。〟と私は独断している。
 *
・露おもき花のしづえに片袖をはらはれて入る庭のしをり戸

  しをり戸もいまでは見かけず両袖におもく降るかもさくら紅葉葉

2024年12月1日(日)

今日から12月だ。早いものである。後ひと月で2025年だ。

  師走一日曲り角には柊の白き花あり冬が近づく

  葉の先に刺のごときに鋸歯がある近づきがたし柊の垣

  鋸歯あれど柊白き花香るこの匂ひこそわがものなりき

『論語』子路二三 孔子曰ふ「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。」

なるほどと思いつつ、こんなことばを思い出す。「連帯を求めて孤立を恐れず……」全共闘の落書で、かかわりはないのだが、共通したものがないだろうか。

  孔子、端的にのたまはく「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と

『春秋の花』 失名氏
・行く年や遠きゆかりの墓を訪ふ

『読売新聞』一九三九年十二月某日号(?)「読売俳壇」第一席。選者は室生犀星か。作者名を私は覚えていない。九州福岡市因幡町の県立図書館閲覧室でたまたま読んだ。
・早春展墓おかめひょっとこ人殺し 金子兜太『早春展墓』(1974) 秀抜

掲出句の命題は、さしずめ「歳晩展墓」か。第二席は、これも失明氏、
・ゆく年の夜のあひ傘に日記買ふ

「あひ傘」の二人は新婚の若夫婦ならん。軽快な佳句であるが、掲出句の深いおもむきには、ずいぶん及ばない。
・まだなにもきかぬふりして毛糸編む
・世を忍ぶをんなすがたや花薄

  行く年や早春展墓とゆくものか父ひとりのみの墓に詣づる

2024年11月30日(土)

晴れ。十一月最後の日だ。

山折哲雄『辞世の作法』を読む。いろいろ参考になる話柄もあるが、説教をされているような感じがあって、なじめないのだが、おもしろかった。ひとつは阿久悠の作詞で森進一の歌った『北の蛍』について、もう一つは鷗外の晩年の「空車」。ともに本の最後のあたりだが。

  いまもまだ小春日和といふものか今日の陽気はこの語にふさふ

  空を飛び青空のかなたの白雲にまぎれて飛べる白鷺が見ゆ

  さくら紅葉の風にとばされ路上には枯れ葉紅葉葉あまた落ち敷く

『論語』子路二二 孔子曰く「南人、言えること有り。曰く『人にして恒なくんば、

以て巫医を作すべからず』と。善いかな。『其の徳を恒にせざれば、或ひはこれに羞を承めん。』」孔子曰く「占わざるのみ。」

  南人のことばを意味のある事と孔子のたまふ占ふまでもなし

『春秋の花』 島木赤彦
・都の空師走に入りて曇り多し心疲れて障子をひらく 『氷魚』(1920)所収「二階」
・人の家の二階一と室に物を書く冬の日数の久しくなりぬ

冒頭作がこれだから「心疲れ」は主に執筆の疲労であろうか。「心疲れて障子をひらく」は、たいそう巧者な表現である…
・障子あけて昨日の朝も今日の朝も遠くながむる春さりにけり
  *
・この朝け道のくぼみに残りたる春べの霜を踏みて別れし

  物を書く疲れありけむ東京の空のした島木赤彦のため息

2024年11月29日(金)

朝、太陽は雲の中だったが、その後よく晴れている。

  三日月の雲無き夕べの空に浮く群青色にひかりのごとく

  針を刺すごとくに月の鋭きに縫ひ合わさるる群青の空

  夕ぐれて高きに浮かぶ三日月たうてい手にはふれざるものを

『論語』子路二一 孔子曰く「中行を得てこれに与せずんば、必ずや狂狷か。狂者は進みて取り、狷者は為さざる所あり。」

積極進取の「狂」とひきこみがちで慎重な「狷」

  中庸の人なくば狂、狷を求めるべしと孔子言ひにき

『春秋の花』 田能村竹田
・詩人の咏物、画家の写生ハ、同一の機軸ナリ。形似稍易く、伝神甚だ難し。

『山中人饒舌』(1835)所収。「咏」は、〝詠〟にひとしい。「伝神」は〝精神を伝えるように表現すること〟である。
・月ヲ喚ビ風ヲ招キ沽フベシ/一家将ニ去ッテ蒲蘆ニ宿ラントス/琵琶湖上三万頃/王侯ニ属セズ釣夫ニ属ス 『自画漁父ニ題ス』

  伝神のむつかしきことを知るべしや形は似やすけれども志は難し