2024年8月29日(木)

雨が降ったり、止んだりしながら、それなりに気温は上がり、暑い。

  狭つくるしい雲と地平のあひだをば朝の日が輝るしばしなれども

  いたやかへでの夏の葉に昨夜降りたる雨しづく垂る

  濡れて重き百日紅の花を踏むぎゅつと雨水周囲に滲む

『論語』先進一二 季路、鬼神に事へんことを問ふ。孔子が言う。「未だ人に事ふること能はず、焉んぞ能く鬼に事へん。」また「敢て死を問ふ。」そうすると孔子は答えた。「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。」

  「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」孔子の言ぞ忘れ難かる

『春秋の花』 鷲谷七菜子
・老僧の眉がうごきて遠ざくら 句集『花寂び』(1977)所収。

「眉雪ノ老僧、時ニ掃クコトヲ輟メテ/落花深キ処ニ南朝ヲ説ク」藤井竹外『芳野』
・滝となる前の静けさ藤映す 七菜子『銃身』1969
     ↓
「山雨、来タランと欲シテ風、楼ニ満ツ」許渾
・春愁やかなめはづれし舞扇 『黄炎』(1963)
・牡丹散るはるかより闇来つつあり 同上
・朴咲けり雲のあかるさ遠くへ置き 鷲谷七菜子

  雲と地の狭きところに昇りくる朝のひかりの遠くかがやく

2024年8月28日(水)

湿っぽい風はあるものの、やはり暑いのだ。

東アジア反日武装戦線の戦い、爆破テロを警視庁公安部の側から描いた『狼の牙を折れ』(門田隆将)を読む。権力側の視点は、死んだ安倍も喜んだらしい。ただ、私は爆破テロの世代ではないが、その思想や行動には、全面的にではないが、強く共感する。少なくとも「東アジア」を視野に含まない考えや行動を肯定することはできない。

  全天を雲が覆ひて朝焼くる不思議の色なり杏の色合

  どことなく奇妙なる気分あたりには杏色した雲に包まる

  杏色の朝明けてくる雲のした人間の動き妖しく映る

『論語』十一 顔淵死す。門人厚くこれを葬らんと欲す。孔子が言う。「不可なり。」

門人厚くこれを葬る。孔子の言、「回は、私を父のように思ってくれたのに、私は子のようにしてやれなかった。だから私のしたことではない、あの二三氏なり。」

顔淵の死は、孔子にはよほどの衝撃だったのだろう。「顔淵死す。」が、四章続く。

  顔淵の死の衝撃を隠さざる孔子の嘆き尋常にあらず

『春秋の花』 薩摩守忠度
・行きくれて木の下陰を宿とせば花や今宵のあるじならまし 『平家物語』所収。
    ↓
『桜花ノ詞』作者不詳の日本漢詩。

・零丁、宿ヲ借ル平ノ忠度」
   =
・滋賀ノ浦ハ荒レテ暖雪翻リ」
    ↓
・さざなみや志賀の都は荒れにしをむかしながらの山ざくらかな 千載集
    *
・古郷を焼野の原にかへりみて末も煙の波路をぞゆく

  さくら散る木のかげにたたずむわれならむ今宵はあるじとすくなき花を

2024年8月27日(火)

細かい雨が、降ったり、止んだり。空も晴れたり、曇ったりだ。

  大山につらなる山々の低きところ白雲棚引く横にひろびろ

  夏のみどりと棚引く白雲大山の山麓は色くきやかにして

  夏やまのみどり濃きところ朝の日に照らされて(は)しき相模の山は

『論語』先進一〇 顔淵死す。子これを哭して慟ず。従者曰く、「子慟せり」。孔子が言った。「慟すること有るか。夫の人の為に慟するに非ずして、誰が為にかせん。」

慟哭するとは孔子の行動としては異例のことだ。顔淵の死は、それほどに孔子にショックだった。

  顔淵の死を嘆じたる孔子なり哭して慟する例のなきこと

『春秋の花』 金子兜太
・佐保神の陰覗かする尊さよ 『海程』4月号(1995)所収。
・陰しめる浴あみのあとの微光かな 『暗緑地誌』
・谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな  同右 
・華麗な墓原女陰あらわに村眠り 『金子兜太句集』
     ↓
・陰に生る麦尊けれ青山河 佐藤鬼房『地楡』

・晩夏一峯あまりに青し悼むかな 兜太

  佐保神の陰を覗かせ風にくるやさしくわれを吹き撫でてゆく

2024年8月26日(月)

風があり涼しい朝だが、しだいに暑くなってくる。

  椿の実のいまだ固くて思ひ閉ず言ふこと抑えいまはゐるなり

  中庭にさかんに叫ぶ赤き花さるすべりの木ををすべる人やある

  明け烏電線の上に鳴き叫ぶその悪声のあたりにひろがる

『論語』先進九 顔淵死す。孔子が言う。「ああ、われ天をほろぼせり。天われをほろぼせり。」

顔淵の死は、孔子に死に程の悲しみを与えたのだ。

  顔淵死すああ天われをほろぼせりもう一度言ふわれを滅ぼしたまふ

『春秋の花』 吉田欣一

「(家でがきが燕のような口を開いて待っとるでな)

大八車にしがみついた源さの姿は黄塵の中に消えた」詩集『歩調』(1951)所収。

短詩「途上」冒頭二連。
・うつばりに黄なる嘴五つ雛に痩せて出で入る親燕あはれ 与謝野礼厳
・年をとったらもっと可愛げがあつても/よさそうなのに/相変らずの憎まれ口。」

吉田欣一『日の断面』(1990)

・今日は伊吹山が姿を見せない/あるがままにあるものの美しさ/俺の精神の郷愁のように/今日は伊吹山が姿を見せない。(『伊吹山慕情』所収)

  伊吹山のごつつい姿が目に浮かぶあるがままにあるこの美しさ

2024年8月25日(日)

朝方は少し風があるものの、日中は例のとおり暑い。

  暑き、暑き日の延長かこの暑さこの湿気こそただごとに非ず

  この暑さに蕩けてゆくかこのからだ老いてぞ干乾らぶるこの貧の身は

  暑さの中を歩けばおいおいに蕩けゆくわが身も心も小さくなりぬ

『論語』先進八 顔淵死す。父の顔路は、孔子の車を以て、その椁(柩の外ばこ)を為らんことを請ふ。孔子は言った。「才も不才も、亦各々其の子と言ふなり。鯉(孔子の子)や死す。その時も棺はあったが椁はなかった。私は徒行して、椁を為らず。私も大夫の末席ついているから、徒歩で歩くわけにはいかない。」

顔路(顔淵の父。やはり孔子の弟子で6歳若い)、鯉(孔子の子。孔子69歳のとき死す。)

  顔淵の死すとき父の顔路いふ孔子の車を椁とせざらむ

『春秋の花』 日野草城
・春の夜は馴れし妻も羞ぢにける 句集『旦暮』(1949)所収。連作「奈良ホテル―銅婚旅行」の一句。
・おぼろ夜の妻よ古りつついや愛し
 ↓
斎藤茂吉・かなしかる初代ぽんたも古妻の舞ふ行く春のよるのともしび(『あらたま』)
その数年前、草城は「ミヤコ・ホテル」のよって話題を作った。その「新婚旅行に、
・けふよりの妻と来て泊つる宵の春」
・をみなとはかかるものかも春の闇
 ↓
・ほのかなるものなりければをとめごはほほと笑ひてねむりたるらむ(『赤光』)

  わが妻に恥づる日あらむいまの夜にはいびきてねむる古妻ならむ

2024年8月24日(土)

やっぱり、今日も暑いのだ。

  大山には薄雲かかり朝焼けて桃色に染まる小さなる雲

  大山につらなり、背後の山々は黒雲流れ雨も降るらむ

  わが背より高きひまはりと膝丈のおしろい花咲くわがゆく(こみち)

『論語』先進七 季康子問ふ、弟子(たれ)か学を好むと為す。孔子対へて曰く、「顔回なる者あり、学を好む。不幸、短命にして死せり。今や則ち亡し。

  顔回を遠く偲びて孔子いふ学を好めど今はもう亡し

『春秋の花』 『犬筑波集』
・夫婦ながらや夜を待つらん/まことにはまだうちとけぬ中直り

『新選犬筑波集』所収。「邪気のないほのぼのとしたエロティシズムが人性の機微をうがっている。」面白いのは、その後で、「ただし、私一己は、そういう成り行きを是認しない」という大西巨人である。
*無念ながらもうれしかりけり/去りかぬる老妻を人にぬすまれて
*尻毛をつたふしづくとくとく/水鳥の尾の羽の氷今朝とけて

  老妻をぬすまむ人のありしかも/そんな夜あれば待つべしわれも

2024年8月23日(金)

やはり暑いのだ。

色川武大『百』読む。父と限りなく作者に近い息子との葛藤。文体がいい。

父親の歌が「ぼくの猿 僕の猫」に載っている。
・いずこにも 心かよわす友なくて 夕鷺低く 首のべていく

「ぼくはと胸を突かれるが、本人にすれば鼻をかんで丸めてしまいたい性質のものにちがいない。」

そんなによくもないが、そう悪い筋の歌でもない。

  わが丈より高きひまはりの黄の花のやや萎れたり夜明け前なり

  相変はらず百日紅の朱の花を踏みつけて今日も川までの道

  よろぼふは吾の守神このままでは滅びてしまふ吾を見尽くして

『論語』先進六 南容、白圭を三復す(南容は、白圭の詩をなんどもくり返していた)。孔子は、その兄のお嬢さんをめあわせられた。

  ううんなんだらう孔子のこのお節介まあこんなことも時にはあるか

『百首でよむ「源氏物語」』第五十四帖 夢浮橋
・法の師とたづぬる道をしるべにて思はぬ山に踏みまどふかな 薫

これで『百首でよむ「源氏物語」』(木村朗子)は、その掲載する歌を詠み終えたことになる。『源氏物語』そのものは、もう一つ理解できていないが、そのステップにはなりそうだ。人生の最後には『源氏物語』をと思ったりするのである。

  途絶へする夢の浮橋をわたりかね恋のみちにも逡巡ありき

『春秋の花』 谷崎松子
・降りしきる桜の花にうづもれて死なんとぞ思ふ乙女なり我は

谷崎潤一郎随筆集『初昔・きのふけふ』(1942)の『初昔』所収。松子は、潤一郎の妻。

潤一郎に「朝寝髪枕きてめでにしいくとせの手馴れの顔も痩せにけらしな」(『都わすれの記』(1948)と歌われつつ、敗戦後現代(1991年2月1日没)まで生き延びた。
・たのめつる人の手枕かひなくて明けぬる朝の静心なき

  桜の花散りかひ曇る川土堤をゆきつ戻りつ死なんとぞ思ふ