2024年9月11日(水)

ぬつぺらばう

今日も外は暑そうです。昨日、今日作った歌を

  無有境をさまよふごとき三日なり謎のコロナに筋肉衰ふ

  なにもない気力衰ふこの病ひ歌を作るもかたち違へり

  もの食ふも真の味ではなささうで口に押し込むけさの食事

  鮭の切身おそらくいつもの味と違ふただ黙々と口に押し込む

  いつからか味覚の減衰を感じをり熱ある頭に思考めぐらす

  熱のある頭動かずいつのまにか眠り込むらし布団かぶりて

  スイカ食ふにスイカはスイカ常の味とさうは変はらず甘さを感ず

  もの食ふにいづれも少し苦くしてこの苦さおそらくこの国のいま
   丘修三(児童文学作家)投稿。2024・9・11

  自民党総裁選の若手候補たたかひ経ずば未来託せぬ

  咥へたる爪楊枝ふきとばす紋次郎なぜかしたしき上州の郷

  つまやうじは元気いつぱいゴミ箱にちりがみなどと借りの宿り

  子猿のやうなるものが夜の闇にかくれて覗く老母の目玉

  ぬつぺらばうの日々がつづけばわれもまたぬつぺらばうなり愚鈍のままに

  水に飲む薬いくつぶ朝十三昼に四粒夜は八そして寝る前二粒飲む

  わがからだからものの饐ゑたる臭ひする病体はけだものの腐りし臭ひ   

これで御勘弁。明日も書けるかどうか。薬のおかげで熱は下がっている。

2024年9月10日(火)

暑かった。

簡易検査にコロナを疑い、田島クリニックに。薬を買う。中学生から講師の妻に、そしてそれなりに看病していた私に移ってきたものと思われる。前回のコロナに悩んだ時と変わらない。妻が教諭から講師に転じた以外、変わりない。しかし、発熱、頭痛、味覚障害、倦怠感は前より強いようだ。

ということで今日、明日は「さねさし歌日録」も休止。申し訳ありません。

2024年9月9日(月)

朝方は涼しかったが、もう暑い。

松下竜一『狼煙を見よ』を読んだ。権力側から見た『狼の牙を折れ』に、いささか反意を覚えたので、この書物に強い同意を感じたのである。1974年の連続企業爆破事件をめぐる、とりわけ大道寺の家族に中心があり、ただ爆破の強烈さのみを責めるのでなく、その反植民地主義、反天皇制、反日本帝国に至る思想の苛烈さなどを問うて、時に私的なものも出て、これらの事件を振り返るには適書であり、私もあれこれ教わった。

  軽やかにティシュペーパーのとび交へる部屋内にたぬし踊れるごとく

  ティシュペーパーの二、三枚跳びてわが息塞ぐいきほひ

  ティシュペーパーを三枚つかみ老いわれの鼻水を拭くなさけなきもの

『論語』先進二二 子路問ふ。「聞くままに斯れ行なはんや。」孔子が言う。「父兄の在すこと有り。これを如何ぞ、其れ聞くままに斯れを行なはんや。」
冉有問ふ。「聞くままに斯れ行なはんや。」孔子が答えた。「聞くままに斯れを行なへ。」
公西華曰く。「由(子路)問ふに、聞くままに斯れ行なはんやと。すると孔子が言った。父兄の在すこと有と。求(冉有)問ふ、聞くままに斯れ行はんやと。すると孔子が、聞くままに斯れを行なへと。赤(公西華)や惑ふ。そこで敢て問ふ。そうすると孔子が言った。「求(冉有)は退く、故にこれを進む。由(子路)や人を兼ぬ。故にこれを退く。」

  教育者孔子のふるまひ子路と冉有同じ問ひすれど一様にあらず

『春秋の花』 中村憲吉
・梅雨雲にかすかなる明りをたもちたり雷ひくくなりて夏に近づく

『しがらみ』(1924)所収。
「梅雨あけ」八首(1921)の中の一首。前年1920年の連作「梅雨ぐもり」五首中には、
・梅雨ぐもりふかく続けり山かひに昨日も今日もひとつ河音
    ↓
・ひとしきりもりあがりくる雷雲のこのしづけさを肯はむとす 

明石海人『白描』1939 
・遠雷は底ごもりつつ 若者の耳吹きすぎて城を打つ風
                    佐佐木幸綱『群黎』1970

  低き雲にときをり光るものありて雷鳴ひびかす夏は来にけり

2024年9月8日(日)

今日も朝は涼しかったが、だんだん暑くなってくるらしい。

  うす暗き空の(はたて)をめざしつつひがしへむかふ鳥の群れあり

  もう秋と思へど猛暑の昼になる百日紅のいつまでも紅

  百日紅の花蹴り散らしけふもゆくかなたへの道遠々しきに

『論語』先進二一 孔子が言ふ。「論の篤きに是れ与すれば、君子者か、色荘者か。」

  弁論の篤実だけでは君子の人かうはべのかはよくはわからず

『春秋の花』 山本常朝
「惣じて用事の外は、呼ばれぬ所へ行かぬがよし。」 『葉隠』(1716?)所収。
「用事」もなく「呼ばれ」もせぬのに行って土屋隆夫御夫妻のおもてなしを受けた――実にめずらしい他家訪問であった。」
     *
「何事もならぬといふ事なし。一念発ると天地をもおもひほがすもの也。」

  用事もなく呼ばれもせぬに訪れてなんとも不思議な思ひに游ぶ

2024年9月7日(土)

朝方涼しいが、また暑くなる。

  細き小径にお歯黒とんぼがわが方へ来りて人間を避けてとびゆく

  わが朝に歩む径なりとんぼうがオシロイ花の上をとびゆく

  九二歳のわが母と六八歳のこのわれと六四歳のわが妻が同じ時間に夜中のトイレ

『論語』先進二一 子張り、善人(素質は立派だが、学の足りない人)の道を問ふ。孔子が言った。「先賢の迹を践んでゆくのでなければ、奥義には入れない。」

  先賢の迹を踏まずて何なせる奥義に入るには日々努力せむ

『春秋の花』 室生犀星
・きみしばしうつろのまみを凝らしたまへ我が立ちつくす花樗かな 
                 「つくしこひしの歌」(1939)所収。
・よきひとのころもかもにるしろたへの鉄扇花こそおくりまつらむ 同
    *
・日は紅しひとにはひとの悲しみの厳そかなるに泪は落つれ 『性に眼覚める頃』
・夏の日の匹婦の腹にうまれけり

  悲しみも嬉しきこともこもごもにありし世ならばまあよしとせむ

2024年9月6日(金)

朝方は秋の空気だが、やがて真夏と変わらぬ暑さだ。

  わが額に格子模様の影映る囚人の孤独われのものなり

  オリジナルハーブキャンディの箱鳴らしわれは(ひ)(き)なり叢に入る

  むらさき草のあまた花咲くところありこころなぐさむやさしさありき

『論語』先進二〇 子張が善人の在り方について尋ねた。孔子が言う。「先賢の跡をふんでゆくのでなければ、奥義には入れない。」

  善人の在り方について孔子に問ふ「跡を践まず、室に入らず」

『春秋の花』 三好達治
・扁舟を湖心に泛べ
 手 艪を放ち
 箕坐して しばしもの思ふ――
 願くは かくてあれかし わが詩の境  四行詩『扁舟』(1936)

「箕坐」、足を投げ出してすわる。箕踞。
・わがわざは成りがたくして/こころざしほろびゆく日を/近江路に菜の花さいて/かいつぶり浮き沈むかな  四行詩「わがわざは」

  もの思ふときこそ箕坐してなにとなく舟に揺られてゆくごときなり

2024年9月5日(木)

朝は秋かと思うものの、やがて暑くなるらしい。

  天井の二基の灯火(ライト)に照らされてわが影二つ濃淡がある

  天井灯火(ライト)に照らされて濃き影あゆむ薄き影付きて

  われとわが影ふたつのうちのどれがわれなる惑ひ惑ひき

『論語』先進一九 孔子が言う。「回(顔淵)は、其れ理想に近いが、しばしば窮乏する。賜(子貢)は命令を受けなくとも、金もうけをして、予想したことは、しばしば当たる。」

  顔淵と子貢を二人比ぶればどつちもどつちかあれこれ言へど

『春秋の花』 古今集よみ人しらず
・ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめもしらぬ恋もするかな

内容は下世話の「恋は闇」とか「恋は盲目」ということにほかなるまい。「あやめ草」から、「しょうぶ風呂」をいつも思い出し、そこから「六日のあやめ、十日の菊」という諺に必ず思い及んで、その諺が私のする事なす事にさながら当てはまるのを今更らしく省み知って憮然とするのである。
・きみやこし我や行きけむおもほえず夢かうつつか寝てかさめてか
・春されば野べにまづ咲く見れどあかぬ花 幣なしにただ名告るべき花の名なれや

  ほととぎすことしも聞こえず過ぎてゆくあやめも知らぬ鳥鳴く声を