2025年2月12日(水)

今日も晴れ。そして寒い。

谷川俊太郎編『辻征夫集』(岩波文庫)を読む。辻征夫も谷川俊太郎も、今は亡き人であるが、詩の中に歌や俳句が嵌め込まれていたりして、わたしは好きだ。二人の対談がまたおもしろい。詩は各人の好き嫌いがあるから読んでもらうしかないが、対話の文言に興味深いものがあって、心惹かれた。「上ずるという詩の基本」「人生がちゃんとある詩」「実際に生きているリアリティと完全に切り離されていいんだろうか」

どれも谷川の発言だが、これいいな。

「珍品堂主人、読了セリ」に心筋梗塞発作に死んだ父を弔うような一首がある。

  そのかみの浅草の子今日逝きぬ襯衣替へをれば胸あたたかし

今日は俳句を

  寒すずめ毛羽立つが見ゆ愛らしき

  寒の日はあつけらかんと厚着して

  寒なれば(ぬ)くときものを腹に入れ

  寒がらす今朝もうるさく鳴きにけり

  寒ければ温き炬燵に丸くなる

『論語』衞靈公一九 孔子曰く、「君子は能なきことを病ふ。人の己れを知らざることを病へず。」

君子というものは、自分に才能なきことを気にして、人が自分を知ってくれないことなど気に掛けないものある。どこか独善的であるようにも思える。

  君子なれば能なきことも人に己を知らざるも憂ふることなし

『古事記歌謡』蓮田善明訳 五六 クロヒメ

天皇が帰る時、クロヒメの歌、

倭方(やまとへ)に 西風(にし)吹き上げて     大和に向いて西風が 吹いて離した雲の様に
雲離れ 退(そ)き居りとも      離れて君が行ったとて
われ忘れめや          心は離れておりませぬ

  愛するべきあなたが大和へ帰るともわれ忘れめや愛する人を

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA