2025年2月1日(土)

晴れてます。

大島和子『回想 鈴木邦男 日本会議と三島事件ストーリー』を読む。いわゆる「新右翼」の鈴木邦男に近くにいた女性による回想である。うん?と思うところもあるにはあるが、鈴木を敬愛する者の一途さがある。鈴木が森田必勝と三島由紀夫が死んだあの事件についてどう考えていたか。そして日本会議を否定的に見ていたことなどなるほどと思わせる。鈴木邦男とはあったこともないが、おそらく近傍にいた時期もあり、書くものを通じて多くを学んだからか、親しみを感ずることは多いし、その死が残念でならない。

  三島、森田が切腹・介錯に死にたるはわれ中学二年のことなり

  新右翼の近傍をさまよふ高校時代まだ純粋なる右翼少年

  岸上大作の生と死を考へはじめたる大学一年左傾してゆく

『論語』衞靈公八 孔子曰く、「与に言ふべくしてこれと言はざれば、人を失ふ。与に言ふべからずしてこれと言へば、言を失ふ。知者は人を失はず、亦た言を失はず。」

  知者なれば人を失ふこともなく言葉を失ふこともなからむ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 四五 応神天皇
水溜る 依網(よさみ)の池の        依網の池の堰杙(せきぐい)
堰杙(ゐぐひ)打ち             打ちにはいれば菱殻の
(ひし)(から)の 刺しけく知らに      刺すも知らずに (ぬなわ)(な)
(ぬなは)(く)り (は)へけく知らに      張った(つる)(ね)にかかるのも
わが心しぞ いや(をこ)にして     知らないでいた愚かさよ
今ぞ悔しき          ひそかに隠れておとめ子を (おも)皇子(こども)もいたものを

このように歌って、カミナガヒメをオホササギノ命に賜った。

  ひそかに隠れてをとめ子を恋するわれの息子もをりし

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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