2024年11月25日(月)

快晴。いわゆる三島由紀夫事件から五十四年。ずいぶん経ったものだ。

  三島由紀夫が自決して五十四年経つわれはなにもの

  なにものでもない老いが三島・森田を忘れ得ずこの青天に感傷すべし

  部屋中に飾りてありし花束も三島・森田を弔ひて咲く

『論語』子路一七 子夏、莒父の宰と為りて、政を問ふ。孔子曰く「速かならむと欲すること母れ。小利を見ること母かれ。速かならんと欲すれば則ち達せず。小利を見れば則ち大事成らず。」

  孔子曰く宰となりても成果、小利を欲するな問ひ欲すれば何事もかなはず

『春秋の花』 伊藤佐千夫
・おり立ちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落葉深く 伊藤佐千夫
『左千夫歌集』(1920)所収。一九一二年(大正元年)発表連作絶唱「ほろびの光」
五首の名高い第一首。第五首は、これも名高い
・今朝の朝の露ひやびやと秋草やすべて幽けき寂滅の光

一九一二年は左千夫逝去の前年に当たるから、「ほろびの光」という表現は、あるいは彼自身の死の予感であったのかもしれない。斎藤茂吉が、「左千夫生涯の歌の頂点に位するものの一つ」などと絶賛するのも、まこと「うべなるかな」である。
・かぎりなく哀しきこころ黙し居て息たぎつかもゆるる黒髪

  伊藤佐千夫に滅びむとする予感ありその作る歌まことうべなり

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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