今日も晴れ。
小倉紀蔵『京都思想逍遥』を読む。出た時(2019)に買った本だが、京都へ行って読みたくなった。「多重主体性」(小倉紀蔵)、「生の鼓動を聞き、生の身顫を感じる」(九鬼周造『人間と実存』解説・藤田正勝)、西田幾多郎「生の肯定」「自由と欲望の肯定」、「述語的多文化主義」「絶対矛盾的自己同一」、今様は「宗教歌であり、同時に思想歌」など面白い指摘が、京都の風土とともに解き明かされている。著者じしんが京都を歩く趣向が卓抜だ。
京の街をお寺めざして歩みゆくどうも仮の世をゆくごとくなり
夜の闇にまぎるる歩みこの闇のさきにもっと深き闇を降る段あり
この木々がすべて紅葉黄葉する京を歩けばわれも狂ふか
『論語』子路一六 葉公、政を問ふ。孔子曰く「近き者説び遠き者来たる(近くの人々は悦び、遠くの人々はそれを聞いて慕ってやってくるように。)」
葉公政を問へば孔子応ふる近き者悦び遠き者慕ひ来るやうにせよ
『春秋の花』 前田夕暮
・我が友の高橋萬吉老いにけり葱を片手にわれに礼する 『原生林』(1929)所収。
・提灯のはだかびさむし畳のうへおきて物いふ故郷人は 同
「すぐれた帰省詠である。夕暮三十八歳の作。
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・扉をひらきつめまひしてわが入りにけり窓なき部屋の一脚の椅子
わが友も老いにけるかな七十歳を越したる人の皺多き顔