2024年11月23日(土)

晴れるらしいが朝は寒い。今日は新嘗祭の日である。

  権力に逆らひ生きて六十年余気概だけはあるこの耄碌にも

  死んだ奴はバカだと言へずに過ごしこしこの三十年慎ましくして

  寒くなれば広葉樹枯れ木の葉落つ公園をめぐる足弱老人

『論語』子路一五 定公問ふ「一言にして以て邦を興すべきこと諸れ有りや。」孔子

対へて曰く、「言は以て是くの若くなるべからざるも、其れ幾きなり。人の言に曰く、君たること難し、臣たること易からずと。如し君たることの難きを知らば、一言にして邦を興すに幾からずや。」定公曰く「一言にして以て邦を喪ぼすべきこと諸れ有りや。」孔子対へて曰く、「言は以て是の若くなるばからざるも、其れ幾きなり。人の言に曰く、予れは君たることを楽しむこと無し。唯だ其の言にして予れに違うふことなきを楽しむなりと。如し其れ善にしてこれに違ふこと莫くんば、亦た善からずや。如し不善にしてこれに違ふこと莫くんば、一言にして邦を喪ぼすに幾からずや。」

  君主の心づかひ次第にて邦を生かすも滅ぼすも一言

『春秋の花』 正宗白鳥

「晩秋のこの頃、私は、『菊の香や奈良には古き仏達』と詠じた古詩人の心境を追想するとともに、若くして死んだ異国の詩人シェリイの『西風に寄せた』詩の激情にも心が動かされるのである。 『枯れっ葉を吹払ふやうに死んだ思想を追払へ。…冬来りなば春遠からじ…』。『文芸評論』(1927)所収「読書余禄」。

世評の大方は白鳥を「ニヒリスト」ないし「ニル・アドミラリ」ないし「無技巧」と目してきたようであるが、私は必ずしも(あるいはおおよそ)同じない。掲出文に内在する〝精神のみずみずしい積極性〟は私のごとき見方の有力な一例証であろう。

今日たとえば保坂和志(『この人の閾』)の「外見上ノンシャラン」の奥底にも、私は同様の〝精神のみずみずしい積極性〟を期待的に透視する。

  ああいつか冬来りなば春遠からじとおもへるやうな心でいたし

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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