十度ちょとしかない。晴れているが寒い。
もう疾うに尻から消えし蒙古斑なにかうしなふその青き痣
蒙古斑がいざなふところに于きたしとおもふ日ありぬ耄なれば
いまごろになぜ思ひだす蒙古斑その青痣を見し父も亡し
蒙古斑のある幼子の尻たたくわが老い人の尻に移れと
蒙古斑失へばその魔法のごとき力も失せて凡人になる
『論語』子路五 孔子曰く、「詩経三百編を誦し、これに授くるに政を以てして達せず、四方に使ひして専り対うること能わざれば、多しと雖ども亦た奚を以て為さん。」
詩経三百編を暗誦するはあたりまへ政務も使者も能はざれば無ぞ
『春秋の花』 伊東静雄
・深い山林に退いて/多く旧い秋らに交ってゐる
今年の秋を/見分けるのに骨が折れる
『わがひとに与ふる哀歌』(1935)所収。第三詩集『春のいそぎ』(1943)の一篇「秋の海」には「昨日妻を葬りしひと/朝の秋の海眺めたり//われがためには 心たけき/道のまなびの友なりしが/家にして 長病みのその愛妻に//年頃のみとりやさしき君なりしとふ」という二節がある。かつて萩原朔太郎は、ほとんど無名のころの伊東を「日本に尚一人の詩人があることを知り、胸の躍るやうな強い悦びと希望をおぼえた。」と手紙で称賛・激励した。その伊東の、自然と人間にたいするたおやかな精神が、山と海との「秋」のこの二編に収斂せられているようである。
深ぶかと山林をゆけばおのづから旧き秋らに交ざりゐるなり