2024年10月31日(木)

ひさびさに朝から晴れている。う~ん、気持ちの良い空だ。JR相模線の音も心地よい。

  われが(み)にまつはりきたる蜆蝶小さきものは誰がたましひ

  清らなる水色の蝶まつはり来今泉重子汝がたましひか

  曇天にくろぐろと立つあけぼの杉夕暮れなればあやしき葉むら

『論語』顔淵二二 樊地、仁を問ふ。孔子曰ふ。「人を愛す。知を問ふ。」孔子曰ふ。「人を知る。樊地未だ達せず。」孔子曰ふ。「直きを挙げて諸れを枉れるに錯けば、能く枉れる者をして直からしめん。」

樊地退きて子夏に見へて曰く、「嚮に吾れ夫子(孔子)に見へて知を問ふ、子(孔子)の曰はく、「直きを挙げて諸れを枉れるに錯けば、能く枉れる者をして直からしめん」と。「何の謂いひぞや。」子夏が曰く、「富めるかな、是の言や。舜、天下を有ち、衆に選んで皐陶を挙げしかば、不仁者は遠ざかれり。湯、天下を有もち、衆に選んで伊尹を挙げしかば、不仁者は遠ざかれり。」

  樊地には孔子の言はむつかしく子夏説くところ具体的なり

『春秋の花』 吉井勇
・秋のかぜ馬楽ふたたび狂へりと云ふ噂などつたへ来るかな 『昨日まで』1913
 馬楽は落語家。吉井の短歌といえば、なぜかまず掲出歌を思い出す。
・秋の夜に紫朝を聞けばしみじみとよその恋にも泣かれぬるかな  
・うつらうつらむかし馬楽の家ありしところまで来ぬ秋の夜半に
    *
・夏ゆきぬ目にかなしくも残れるは君が締めたる麻の葉の帯

  金木犀の香りも失せて秋になるなぜかさびしき夕暮れ時は

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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