2024年9月2日(月)

台風10号が過ぎて、今日は良い天気だが、風がある。昨夜は雨だった。

鈴木邦男『腹腹時計と<狼> <狼>を利用する権力』読了。鈴木の一水会、新右翼時代、まだ若いころの書で、東アジア反日武装戦線の爆弾事件に共感を寄せたものだ。右翼と左翼の共闘が考えられた時代であり、奇妙な噂話がうるさい書であるが、著者の若い熱情は伝わる。

  むらさき草の雨露ためて水したたる草葉を濡らすすがたぞ愛しき

  秋萩の赤き花咲く放恣なる枝の動きに従ひ揺るる

  みはるかすみどり昨夜の雨に濡れ朝のひかりにひときはかがよふ

『論語』先進一六 子貢問ふ、師(子張)と商(子夏)とは孰れか賢れる。孔子が言ふ。「師や過ぎたり、商や及ばず。」曰く、「然らば則ち師は愈れるか。」そうすると孔子が言った。「過ぎたるは猶ほ及ばざるがごとし。」中庸がたいせつだ。

  子張と子夏いづれかと問へば「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」

『春秋の花』 中村憲吉
・新芽立つ谷間あさけれ大佛にゆふさりきたる眉間のひかり 『林泉集』(1916)所収。
・かまくらの大きほとけは青空をみ笠と着つつよろづ代までに 『左千夫歌集』(1920)
・鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立ちかな 与謝野晶子『恋心』(1905)ほんとうは阿弥陀仏である。
・夕まぐれ我れにうな伏す大佛は息におもたし眉間の光

・朝ゆふの息こそ見ゆれもの言ひて人にしたしき冬ちかづくも 憲吉

  鎌倉の大佛はあまり好まねど体内に入れば鉄の空洞

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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