2024年8月25日(日)

朝方は少し風があるものの、日中は例のとおり暑い。

  暑き、暑き日の延長かこの暑さこの湿気こそただごとに非ず

  この暑さに蕩けてゆくかこのからだ老いてぞ干乾らぶるこの貧の身は

  暑さの中を歩けばおいおいに蕩けゆくわが身も心も小さくなりぬ

『論語』先進八 顔淵死す。父の顔路は、孔子の車を以て、その椁(柩の外ばこ)を為らんことを請ふ。孔子は言った。「才も不才も、亦各々其の子と言ふなり。鯉(孔子の子)や死す。その時も棺はあったが椁はなかった。私は徒行して、椁を為らず。私も大夫の末席ついているから、徒歩で歩くわけにはいかない。」

顔路(顔淵の父。やはり孔子の弟子で6歳若い)、鯉(孔子の子。孔子69歳のとき死す。)

  顔淵の死すとき父の顔路いふ孔子の車を椁とせざらむ

『春秋の花』 日野草城
・春の夜は馴れし妻も羞ぢにける 句集『旦暮』(1949)所収。連作「奈良ホテル―銅婚旅行」の一句。
・おぼろ夜の妻よ古りつついや愛し
 ↓
斎藤茂吉・かなしかる初代ぽんたも古妻の舞ふ行く春のよるのともしび(『あらたま』)
その数年前、草城は「ミヤコ・ホテル」のよって話題を作った。その「新婚旅行に、
・けふよりの妻と来て泊つる宵の春」
・をみなとはかかるものかも春の闇
 ↓
・ほのかなるものなりければをとめごはほほと笑ひてねむりたるらむ(『赤光』)

  わが妻に恥づる日あらむいまの夜にはいびきてねむる古妻ならむ

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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