2024年8月21日(水)

今日も暑い。

  あけぼの杉の下枝に残る空蝉はいづこへ征くか戦ひのため

  裏返り蟬死にするか彼方(あちら)此方(こちら)に不可触の蟬の尸ありき

  廊下には天井灯火(ライト)に照らされて蟬のしかばね裏返りをり

『論語』先進四 孔子が言った。「回や、我れを助くる者に非ざるなり。吾が言に於いて(よろこ)ばざる所なし。」

顔淵が理解に早く従順なのを喜んだ。

  顔淵はわれを助くるものに非ずされど従順によろこびしこと

『百首でよむ「源氏物語」』第五十二帖 蜻蛉

浮舟が死んだ。
・忍び音や君もなくらむかひもなき死出の田長に心通へば 薫
・橘のかをるあたりはほととぎす心してこそなくべかりけれ 匂宮

薫の恋人の歌。
・あはれ知る心は人におくれねど数ならぬ身に消えつつぞふる 小宰相の君

八の宮の縁で知った女君たちを思う夕暮れ、蜻蛉が飛び交うのを見て、独り歌う。
・ありと見て手には取られず見ればまた行く方も知らず消えしかげろふ 薫

  宇治川の流れにむなしくなりし人おもひつづけむもせんなきものなり

『春秋の花』 水原秋櫻子
・山焼けば鬼形(きぎやう)の雲の天に在り  句集『秋苑』(1935)所収。「題役行者像」という「前書き」付き。村上鬼城作と誤解していた。

上島鬼貫「ひうひうと風は空行く冬牡丹」を連想し、さらに谷崎潤一郎の初期中編『鬼の面』(1916)を思い起こす。
・餘生なほすことあらむ冬苺

  鬼人のごとく空より人のもとにくる素早きものを思ひみむとす

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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