2024年8月12日(月)昨日は山の日。日曜だったので今日振替休日だそうだ。

暑い、暑いと音をあげる。東北地方は台風5号で雨が心配される。

  山の民は炭を焼き、杣を刈る、また鹿を打ち、猪を滅ぼすあしひきの民

  千年を土に埋もれてゐし土器ならむ蛇がしつかり胴を巻きをり

  毬栗がみどりの栗の葉にまぎれその戦闘性まぎれなかりき

『論語』郷黨十八 大廟に入りて、事ごとに問ふ。(大廟(魯の周公の霊廟)の中では、儀礼を一つ一つ尋ねた。)

  大廟に入りて葬の儀式にて行ふことを事ごとに問ふ

『百首でよむ「源氏物語」』第四十三帖 紅梅

按察大納言は亡くなった柏木の弟である。
・心ありて風のにほはす園の梅にまづ鶯の問はずやあるべき 按察大納言
・花の香の誘はれぬべき身なりせば風のたよりを過ぐさましやは 匂宮
・もとつ香のにほへる君が袖触れば花もえならぬ名をや散らさむ 按察大納言
・花の香をにほはす宿にとめゆかば色にめづとや人の咎めん 匂宮

  光源氏のかがやきにとほくかなはねど匂宮にもはなやぎはある

『春秋の花』春の部 中野重治

「おれは上り坂を上って行くぞ。「死」のことはわからぬ、わからぬけれど上り坂だ。」短編『写しもの』(1951))主人公安吉の心内語。森鴎外『妄想』の中の有名な「死を怖れもせず、死にあこがれもせずに、自分は人生の下り坂を下って行く。」に対する安吉の決意表明である。壮年期にむかう中野重吉の覚悟であろう。

  死のことを意識しつつも生きてゐるわれならなくに『妄想』を読む

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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