2024年8月11日(日)

昨晩は、雨が降ったようだが、今朝はもう暑い。

澁澤龍彦『三島由紀夫おぼえがき』、おそらく二度目の読書。ある時期、三島のもっともよき理解者であったに違いなく、それぞれに違和を感じつつも、付き合いが続いた二人の姿が懐かしい。二人とも、今は幽界に属す。

  キッチンの床にひろがるキャップの色五色に遊ぶやさしき妻が

  母もまたフローレンス原人のなれのはてその骨格のいかにも小さし

  たましひは明けのからすに攫はれてふがひなきなり老いたるわが身

『論語』郷黨一七 君、命じて召せば、駕を俟たずして行く。

孔子は、ある意味、せっかちなような。そんなに急がなくともと思うけれども、その緊迫感が必要なんだろうな。駕よりも先に君のもとへ。

  命ぜられれば駕よりも先に君のもとへ参ずるならむ孔子先生

『百首でよむ「源氏物語」』第四十二帖 匂兵部卿

「光隠れたまひにし後」源氏には及ばないが匂宮と薫が中心になる。とりわけ冷泉院のおぼえめでたき薫。
・おぼつかな誰に問はましいかにしてはじめも果ても知らぬ我が身ぞ 薫

  八少女はわが八少女ぞ神のます高天原に立つ八少女ぞ

『春秋の花』春の部 松尾芭蕉
・紅梅や見ぬ恋つくる玉すだれ 元禄二年

「うら若い近世男子心情をさながら表現している。」
・此の秋は何で年よる雲に鳥 元禄7年 死の二週間前の作。

  御簾のうちの見ぬ恋ひをするをのこごの幼きを愛すその率直さ

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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