2024年8月6日(火)ヒロシマの日

今日も暑い。

  露天湯に浸かれば老爺も哲学者。メディテーションにしづむ裸身は

  露天湯に見えて夜空の星あまたミルキーウェイ渡るすべなし

  露天湯に首まで浸かりご満悦緊張感なき爺が五人

『論語』郷黨一二 季康子が薬を贈った。拝の礼をして受けとって言った。「丘(孔子)はこの薬のことを知らない。だから今日は口にしません。」

  慎重に薬は飲むべし。いただいた薬はすぐには口には嘗めず

『正徹物語』212 「花を弄ぶ」という題で、このように詠んだ。
・一枝花の色香をかざすゆゑいとどやつるる老いの袖かな

雪の時は、粗末な物を着ているのが、ひどく粗悪に見えるものである。

  一枝の花もてあそぶ園のうち老爺の着物おとろへたるか

『百首でよむ「源氏物語」第三十八帖 鈴虫

女三の宮の念持仏の開眼供養。
・蓮葉を同じ台と契りおきて露のわかるる今日ぞ悲しき 光源氏
・隔てなく蓮の宿を契りても君が心やすまじとすらむ 女三の宮

松虫より鈴虫かな。
・大方の秋をばうしと知りにしをふり捨てがたき鈴虫の声 女三の宮
・心もて草の宿りをいとへどもなほ鈴虫の声ぞふりせぬ 光源氏

  秋虫の鈴虫の音をいとほしむ人をりにけりいまだいとしき

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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