2024年7月30日(火)

今日も暑い、熱い日だ。

三島由紀夫に関する本を続けて読んでいる。谷川渥『三島由紀夫 薔薇のバロキスム』、そして澁澤龍彦『三島由紀夫おぼえがき』。二冊目は途中であるが。

  澁澤龍彦は三島由紀夫とほぼ同世代かくのごとき死を予想もせざりき

  わが父は昭和三年生まれにて澁澤龍彦と同年なり三島由紀夫の死をかなしめり

  三島由紀夫を論ずるに谷川渥さすが美学者薔薇をひもどく

『論語』郷黨八 飯はいくら白くともよく、膾はいくら細くともよい。飯がすえて味変わりし、魚が腐り肉が腐れば食べない。色が悪くなったのも食べず、においの悪くなったのも食べず、煮方のよくないのも食べず、季節外れのも食べず、切り方の正しくないのも食べず、適当なつけ汁がなければ食べない。肉は多くとも主食の飯よりは越えないようにし、酒のついては決まった量はないが乱れるところまではいかない。買った酒や売り物の乾肉は食べず、しょうがはのけずに食べるが多くは食べない。主君の祭りを助けたときは、肉を宵ごしにはせず、わが家の祭りの肉は三日を越えないようにし、三日を越えたらそれを食べない。食べるときは話をせず、寝るときもしゃべらない。粗末な飯や野菜の汁や瓜のようなものでも、初取りのお祭りをするときはきっと敬虔な態度である。

  冷蔵庫、冷凍庫のなき時代なりもの食ふことかくも恐れし

『正徹物語』208 「かささぎの橋」は、烏鵲(鵲)が河の向こうに居て、両側から集まって翼を広げて並び、七夕を渡す。「紅葉の橋」というのも鵲の橋である。紅葉と言っても、木ではない。七夕の別れを悲しんで泣く涙がかかって、鵲の羽が赤くなる、それが紅葉に似ているので、「紅葉の橋」とも言うのである。

  これもまたどうでもいいと思はぬか小さきことにこだはる正徹

『百首でよむ「源氏物語」』第三十四帖 若菜上

源氏の四十賀は大袈裟なことはしないでおこうと思っていた。玉蔓は採ったばかりの若菜を届けた。
・若葉さす野辺の小松を引き連れてもとの岩根を祈る今日かな 玉蔓
・小松原末の齢に引かれてや野辺の若菜も年をつむべき 光源氏  

女三の宮を六条院に迎えた。紫の上は孤閨をかこつ。
・目に近く移れば変はる世の中を行く末とほく頼みけるかな 紫の上
・命こそ絶ゆとも絶えめ定めなき世の常ならぬなかの契りを 光源氏

この女三の宮がキイになり、柏木が近づいてくる。

  源氏の君に嫉妬を寄するひめぎみたちその心もちこそ愛らしくして

明日から二泊、三日で蓼科へ行く予定だ。ので7月31日(水)、8月1日(木)。2日(金)は欠損予定だ。あるいは帰宅後偽装の可能性もある。

8月2日(金)午後3時過ぎに帰宅。中央高速、八王子ジャンクション経由自宅へ。運転は妻だが、

さすがに疲労困憊。蓼科の女神湖は、逆さに白樺の森を映し、しずかに水は動かず、美しかった。宿の室には冷房がなくどうかと思ったものの朝晩は寒いくらいに涼しかった。蟬鳴き、鳥の囀る高原の夏に乾いた風が吹いて、なんとも爽やかであった。

蓼科は、諏訪の文化圏と八ヶ岳の文化圏の二つがせめぎ合っているような気がする。あの土偶の形態と縄文土器の縄目と蛇、そして人の顔のような文様は、実に素晴らしいのである。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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