2024年7月25日(木)

今日も暑いのだ。昨日よりは少しましだというが……

  このままに衰へ死する蟬ならむこころ残酷なるとおもへば、うごく

  日の影にひつくりかへる雌の蟬しづかにしづかに触れば、動く

  最期の鳴動せるか蟬の動きひつくり返るがいまだ生ある

『論語』郷黨三 君、召して擯たらしむれば、色勃如たり。足躩如たり(主君のお召しで接待役を命ぜられたときは、顔つきは緊張し、足取りはそろそろしていた)。与に立つ所を揖すれば、其の手を左右にす。衣の前後、襜如たり。趨り進むには翼如たり(いっしょに並んでいる人々に会釈される時は、その手を右にくんだり、左にくんだりして、着物の前後が美しくゆれ動いた。小走りに進まれる時はきちんと立派であった)。賓退けば必ず復命して曰はく、賓顧みずと(客が退出すると、必ず報告して、客はふり返らなかったといった。)

  賓客をむかへるときの作法あり満悦すれば賓かへりみず

『正徹物語』203 一度に歌を多く詠むには、初一念に思いついた着想を、離さないように次々に詠んでゆくのである。あれこれと着想を取捨すると詠めなくなる。

  いちどきに多く詠むには初一念にこだはりつづけることがたいせつ

『百首でよむ「源氏物語」』第二十九帖 行幸

帝に宮仕えを望む玉蔓。
・うち霧らし朝曇りせしみゆきにはさやかに空の光やは見し 玉蔓

末摘花からの歌、祝いにはふさわしくないのだ。
・我が身こそ恨みられけれ唐衣君が袂に馴れずと思へば 末摘花

玉蔓に代わって源氏の返歌
・唐衣また唐衣からころもかへすがへすも唐衣なる 光源氏

  いづれにしても唐衣と詠む末摘花からかひ気分に返し歌送る

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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