2024年7月22日(月)

今日も暑い。

  虫喰ひの葉を拾ふてくれば心たのしバッグに蔵め帰りくるなり

  少しだけ虫に喰はれて色変ず落葉にかがむわれぞたのしき

  種類の違ふ木々より落つる黄緑や緑のひと葉ひと葉に嬉し

『論語』子罕三二 

唐棣の華、偏として其れ反せり。(庭桜の花、ひらひらかえる。)豈に爾を思はざらんや、室是れ遠ければなり。(お前を恋しいと思わぬでもないが、家が遠すぎて。)

孔子は、この歌についていった。「思いつめていないのだ。まあ、ほんとうに思いつめさえすれば、何の遠いことがあるものか。

  庭桜の花ひるがへるなかにして君をおもはん家遠くとも

『正徹物語』200 「社頭の祝」という題で、このように詠んだ。
・庵原にあらず長良のみ山もるみおの神松浦かぜぞ吹く

「庵原やみほの浦」という名所は、駿河の国にある。そこでも松を詠んでいた。この歌も同じ「みお」であるけれども、駿河の庵原ではないので、「庵原にあらず長良の山と詠んでいる。「神のもる」と言うと、祝言の意はある。ここも琵琶湖のほとりで浦風が吹くはずなので、「浦かぜぞ吹く」と詠んだ。

  浦風吹く社をおもふ長良山吹きおろすべし夏のやま越え

『百首でよむ「源氏物語」』第二十六帖 常夏  常夏はなでしこの異名。
・なでしこのとこなつかしき色を見ばもとの垣根を人やたづねむ 光源氏
・山がつの垣ほに生ひしなでしこのもとの根ざしをたれかたづねむ 玉蔓

  とこなつのなでしこの花に結ぶえにしたれをか尋ぬ垣ほのうちに

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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