2024年7月10日(水)

暑い、暑い。7時前からエアコンだ。

  寝ねがたく夢みる老いの駆けてゆく郊外の町川流れたり

  その夢にわれは追はれて廃坑の山をくだりぬここはいづこぞ

  共に来し友に別れてここはいづこ建築物の多くはあらず

『論語』子罕二二 孔子が言った。「苗にして秀でざる者あり。秀でて実らざる者あり。」

  苗のまま秀でざるあり秀でても実らざるあり努力が肝要

『正徹物語』188 夕日の光が残っている山の陰で、蜩が鳴くほど、興趣を覚えるものはない。さて「蜩の鳴く夕かげの大和撫子」と言っているように歌を転ずることは、難しいことである。「蜩の鳴く夕かげ」とあると、その下は雲とも日影とも書くであろうに、「大和撫子」と転じたのは、結びつかないようだが、見事に転じている。

定家の、
・蘭省の花の錦の面影に庵かなしき秋のむら雨

という歌を考えれば面白い。「蘭省の花の錦」を「秋のむら雨」に転じた。これは「蘭省の花の時 錦帳の下、廬山の雨の夜の草庵の中」という詩の境地を借りた。蘭省・錦帳とは御所のことだ。

  蘭省の花のさかりに秋の夜のむらさめ降るを庵にかなしむ

『百首でよむ「源氏物語」』第十四帖 澪標

光源氏と藤壺のあいだにできた東宮が、朱雀院に譲位した。光源氏は内大臣。
・みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐりあひけるえにしは深しな 光源氏
・数ならでなにはのこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ 明石の君

  住吉の社詣でにすれちがふなにはのことはかひなきものぞ

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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