朝は涼しいが、すぐ暑くなる。朝からクーラーである。
花が萎れて皐月つつじの枝さきにゴミかのやうにへばりつきたる
皐月つつじ深く繁りて枝さきに花弁萎れていつまでも付く
雑草に二頭の蝶々寄りゆくをしづかにしづかに見届けて待つ
『論語』子罕八 孔子が言った。「私はもの知りだろうか、もの知りではない。知ることもない。つまらぬ男でも、まじめな態度でやってきて私に質問するなら、空空如たり。我れ其の両端を叩いて竭くす。」
つまらない男がわれに質問す空空如たり両端を叩き
『正徹物語』174 和歌には何かと遺恨が多い。古人の表現を綴り合わせ後人の評価を思って詠んでも、満足ゆくことがない。だいたい世間の人皆がよしともてはやす歌を詠んでいたら、ずっとそのままで進歩はとまるだろう。一方、幽玄深遠な、自分の理想とする風体の和歌を詠むと、他人には理解されず、果ては非難の言まで浴びせる連中がいる。こういうところが歌を詠む遺恨となっている。ただ、世間で一様によしとされるものにはやはり取柄があろうかと思っている。
「吉野川氷りて浪の花だにもなし」という歌を、良い歌だと人は口を揃えて言ってくれるが、この程度の歌は、朝晩普通に詠んでいるのだ。
吉野川氷て浪の花もたたずさびしき冬のかちんこちん
『伊勢物語』百二十五段 むかし男、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、
・つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを
『伊勢物語』最終段である。そして間近に師を予感している。これ好きな歌だ。
死はなかなかわがもとにさへ来ざらむをわづらひあれば今日明日こそは
『伊勢物語』が終ったので、『百首で読む「源氏物語」』(木村朗子)を観ていくことにしよう。