2024年6月23日(日)沖縄慰霊の日

朝から雨。昨夜から降っている。
葉室麟『峠時雨』を読んだ。時代小説は、ひさしぶりだ。時代小説は、やっぱりいいなぁ。そこでやめておこう。愛情あふれる小説は、自分で読むよりない。

  梅雨に入る後の雨なり激しくも道路を走る自動車(くるま)のひびき

  JR相模線が雨中を走る音がするいつもより少し重き音にて

  薄ら寒き雨の日なれば路線にははげしき雨ふる窓に見てをり

『論語』子罕五 孔子が、匡の地で危険にあった時に言った。「文王は既に亡くなられたが、その文化はここに伝わっている。天がこの文化を滅ぼそうとするなら、後代の私はこの文化に携われれないはずだ。天がこの文化を滅ぼされないからには、匡のごときが、私をどうしようぞ。」

  匡の地に孔子襲はる孔子言ふ「匡人其れ(わ)れを如何」と

『正徹物語』171 「あまぎる」は曇りである。「目きりて」「涙きりて」などというのも同じである。

  あまぎるは曇天の意。目きりて、涙きりても同じきなり、うん?

『伊勢物語』百二十一段 梅壺から、女が雨に濡れて出てくるのを見て、詠んだ男がいた。
・うぐひすの花を縫ふてふ笠もがな濡るめる人に着せてかへさむ

すると女は返した。
・うぐひすの花を縫ふては笠はいな思ひをつけて乾してかへさむ
男の負けだな。

  うぐひすの花を縫ふては笠こさふるその笠乾してきみにかへさむ

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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