2024年6月20日(木)

今日も朝から天気はいい。暑くなりそうだ。

徳田秋聲『足迹』を徳田秋聲記念館文庫にて読む。『黴』の前編にあたる小説だが、ようやく手に入れ読むことができた。なかなか既存の文庫本が手に入らず金沢の徳田秋聲記念館で刊行しているのを知って、『仮装人物』や『縮図』とともに手に入れた。そうして『足迹』を読むことができたのだが、はま婦人をモデルにしたというお庄が、じつに魅力的なのだ。いらぬこともするのだが、そんなことも気にしつつ、ある意味破天荒な姿はいきいきしているではないか。そしてその文体の穏やかさ。いいですねえ。

  梅ジュース一杯にけふがはじまらむ雨後のみどりの濃きこの時に

  濃みどりにさみどり色の木々の葉つまっさかりなり夏立つならむ

  真みどりのあけぼの杉の真下より仰ぐ木の葉のさゆらぎてゐる

『論語』子罕二 達巷の村の人が言った。「大なるかな孔子は、広く学びて名声をもたない。」孔子はこれを聞いて、門弟子に言った。「私は何をやろう。御車をやろうか、弓をやろうか。私は御車をやろう。」

  達巷の人大なるものかな孔子なり言はれてあげくわれは御車と謂ふ

『正徹物語』168 「郭公を待つ」という題で、このように詠んだ。
・年もへぬ待つに心はみじかくて玉のをながき時鳥かな 草根集3202

「玉のをながき」は、私のことだ。七十歳まで生きてきたので「玉のをながき」ということになる。毎年、郭公は待つものなれば、「年をへぬ」と詠んだ。このように詠んで、何の役に立つかとは思うけれど、類想歌は詠むまいと努めるため、薮山をかき分けて進むかのように苦労して詠んでいます。

  郭公(ほととぎす)の鳴くときを待ち年を経ぬ待ちかねて去るときもありけむ

『伊勢物語』百十八段 長いあいだ便りもせずにいた女のところに、「忘れてなどいませんよ。これから伺います。」と男が言ってきた。女は詠んだ。
・玉かづらはふ木あまたになりぬれば絶えぬ心のうれしげも
男を詰ってます。

  長くひさしく女のもとを訪れずいいわけをする男は入れず

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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