2024年6月7日(金)

今日もいい天気だ。暑くなりそうである。

ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』読了。トマーシュとテレザの愛の物語のようにも見え、また「プラザの春」を壊滅させたソビエトの苛烈さを背景に、ここにも物語がある。トマーシュは、まるで光源氏の諸向き心の持ち主のような色好みの男であり、テレザは直向き心の持ち主である。『源氏物語』の現代版のような、しかし深刻な感じの物語であった。むかしむかしDVDを借りて映画を観たことがある。もっと分かりやすい印象を持っている。背景にソビエト侵攻をもちながら愛が際立っていたような。緑の色彩が深く頭に残っている。

  夏つばきの清浄の花あまた咲く白きその花この夏の花

  白き花芯のところは黄色くてみどりの葉に映ゆ夏つばきの木

  昨年は葉ばかり繁り花着けぬこの夏つばきことしは花咲く

『論語』泰伯一〇 孔子が言った。「勇を好みて貧しきを(にく)むは、乱なり。人にして不仁なる、これを(にく)むこと(はな)(は)だしきは、乱なり。」

  まつりごとの難しさ説く孔子なり勇武、不仁はにくむべきなり

『正徹物語』155 「河に寄する恋」という題で、こう詠んだ。
・あだにみし人こそ忘れやす川の浮き瀬心にかへる浪かな

「浮き瀬心にかへる浪かな」という第五句がよい。うきことは、いく度もわが心にちゃちゃっとかへる物なり。「ちゃちゃっと」は、すみやかにの意。

  不実なるであひせし人忘れがたし憂きことちゃちゃっと心にかへる

『伊勢物語』百五段 「このままでは死んでしまいます。」と言った男がいた。」女は、
・白露は消なば消ななむ消えずとて玉にぬくべき人もあらじを

と詠んだ。なんとつれないと男は思う。けれど女への気持ちは、いっそう募るのだった。

  つれなくさるる女を思ひされどされど恋してやまずこの女こそ

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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