昨日の激しい雨風は終って、あかるい空であるが、雲がある。
昨夜の風雨で皐月の花が散らばった。
南からの風強ければ窓を打つまつこうから来る雨風の音
窓を打つは鬼かとおもふ開けてはならぬはげしき乱打
花々が落ちて散らばる皐月なり乱暴狼藉許しがたし
『論語』泰伯四 曾子、疾あり。孟敬子(魯の家老)これを問う。曾子は言った、「鳥が死ぬときはそのなきごえはかなしい。人が死ぬときには言葉は立派だ。君子が礼について尊ぶことは三つ。姿かたちを動かすときには粗放から離れる。顔つきを整えるときは誠実に近づく。ことばを口にするとき俗悪から離れる。この三つが礼に大切なことだ。祭の器物などのことは、役人がいる。」
曾子疾にかかり申すこと暴慢、鄙倍を遠ざけて信に近づけ
『正徹物語』149 名人になる者は、最初から知られる。家隆卿が幼くして、
・霜月に霜の降るこそ道理なれなど十月に十はふらぬぞ
と詠んだのを、後鳥羽院は優れた人物になるに違いないと感嘆された。
名人の歌を前もって多く読んでいると、必ず構想力が先に向上する。そのため構想力ほどには表現力は自由に使えない。構想力だけが上達してしまったのがすこぶる質が悪い。表現力は、事物を観察する度合と関係ない。もちろん言葉遣いが巧みでも、構想力が働かねば歌は詠めない。だから事物を観察するときにはよくよく注意が必要だ。
歌における心と詞の塩梅のむつかしさを言ふ正徹なりき
『伊勢物語』九十九段 右近衛府の馬場で、騎射が行われた。馬場のむこうにとめてある車の中に、女の顔が見えた。近衛府の中将である男は詠んだ。
・見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなく今日やながめ暮らさむ
女は返した。
・知る知らぬ何かあやなくわきていはむ思ひのみこそしるべなりけり
そののち男は女に逢い、女が誰か知ることとなる。
ちらりと見たる女のもとに詠み贈るかくも女のこころをとらふ