2024年5月25日(土)

曇り気味だけど、気温は上がっている。楠公祭である。

  この川の流れに逆らひ遡り花の木に会ふ葉ざくらの木

  まだマスクに顔を歪めるわれならむまなこのみ動く憎しみこめて

『論語』述而三七 孔子は穏やかでいて、厳しく、おごそかであって烈しくはなく、恭謙でいて、しかも安らかだ。

  孔子の教へおだやかでなほ厳しくておごそかになほ安らかならむ

『正徹物語』145 定家が言われた、「歌を案ずる時は、常に白氏文集の『故郷に母有り秋風の涙、旅館に人無し暮雨の魂』という詩を吟ぜよ。この詩を吟ずれば、心がたけたかくなり、よい歌が詠まれる。」「また、『蘭省の花の時錦帳の下、廬山の雨の夜草庵の内』とある。「旅館に人無し暮雨の魂」は、旅先の宿所にたった一人でいるところに、ほろほろと雨の降りだすのは、誠に心細きものである。「なき人こふる宿の秋風」(玉ゆらの露もなみだもとどまらずなき人こふる宿の秋風 拾遺愚草2774)は、この詩の心にかなっている。

  白居易の詩に学ぶべしつねに諳んじ読みはべるばし

『伊勢物語』九十五段 むかし、二条の后(高子)に仕えていた男がいた。同じく后に仕える女としばしば会う機会があり、その女にずっと求婚していた。「簾越しにしても、どうにか会いたいものだ。そうして、おぼつかなく思いつめたことを、晴れ晴れとさせたいものだ。」と男が言ったところ、女は簾越しに会ってくれた。あれこれ物語の後、男が詠んだ。
・彦星に恋はまさりぬ天の河へだつる関を今はやめてよ

この歌にほだされて、女は男と直接に逢った。
男の強い気持ちが通じたのですね。よかった、よかった。

  天の河を隔つるが今宵逢ひにけりわれは彦星、織女をおもふ

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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