2024年5月24日(金)

良い天気だ。今日は暑くなるようだが。リハビリが十一時二十分からだから、どうも調子が狂う。

妻が、家庭菜園を作っている友人から色々貰ってきたが、空豆が旨い。勿論、新玉葱も。

  空豆はかく甘きもの。わが妻が友からいただく菜園の実り

  皮むかず食ぶるがわれの流儀なりこの甘きもの皮を剥かざる

  かくあまき空豆に逢ふ恋人のごとくに口中にもてあそびたり

『論語』述而三六 孔子が言う。「君子は(たひら)かに蕩蕩(とうとう)たり。小人は(とこしな)へに戚戚(せきせき)たり。」
君子は平安でのびのび。小人はいつまでもくよくよしている。なるほどそうだ。

  坦かで蕩々たるが君子なりいつまでも悔やむ小人にはあらず

『正徹物語』144 定家の歌では、恋の歌が心底に沁み入って、どうこう言えないほどに素晴らしいものが多い。定家に対しては、有家・雅経も、通具・通光もくらべものにならない。家隆だけは恋の歌を見ごとに定家に近いところまで詠んでいる。

  恋の歌では定家が一番からうじて家隆等しく他はかなはざる

『伊勢物語』九十四段 なぜだか、通っていた女のもとへ行かなくなってしまった男がいた。女には、ちがう男ができた。女と元の男は、子をもうけた仲であった。そのため男は、ときおり女に便りをした。女は、絵を描く人だった。絵を描いてほしいと、男は便りをした。ちょうど女のもとには、今の男が来ていた。一日、二日、女は男へも返事を出さなかった。男は、「無理もないけど、少しばかり、かなしいよ」と言って、皮肉をこめた歌を詠んでよこした。秋のころだった。
・秋の夜は春日わするるものなれや霞に霧や千重まさるらむ

女は返した。
・千々の秋ひとつの春にむかはめや紅葉も花もともにこそ散れ

  花も紅葉も散るものを散つてこの世に思ひとぐるや

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA