2024年5月14日(火)

今日は朝涼しかったが、次第に晴れてくるようだ。

  皐月つつじの小さき赤き花々の色褪せて地に凋尽したり

  半分は五月つつじの葉に残り半分は落ち風に運ばる

  花をちぎり落とすは老いの手すさびか妻と摘む花痛々しきよ

本日は、「短歌人」2024年5月号「髙瀨一誌研究」から「髙瀨一誌の歌80首」から選歌したものを読んでいただきたい。生前の髙瀨さんにはお世話になった。髙瀨さんの歌は、いわゆる定型ではない。ある意味、自由なのだが、切れ味はある。

当然ながら『論語』『正徹物語』『伊勢物語』は、休みである。

高瀬一誌25首
・うどん屋の饂飩の文字が渾沌の文字になるまでを酔う  『喝采』
・この朝クロワッサンちぎりつつ今はどこなる一生のどこなる
・油まみれの飲食をなすは逃亡者髙瀨一誌にあらずや
・レンコンの穴から見ても もうさみしさばかりの風景ではないか
・鍵穴からのぞけばわが家はなんとぼろぼろではないか。
・カダフィもゲバラもトルストイもいる大井町駅前マクドナル店 『レセプション』
・カメをぶら下げることはわが放浪のはじまりかもしれぬ
・わが死顔ありありと見ゆ眼鏡かけていないどうしたものぞ
・ぼうとしてくればさみしげに見えるかな西郷隆盛まだ立ちている
・鐘をつく人がいるから鐘がきこえるこの単純も単純ならず 『スミレ幼稚園』
・成増駅前大沢洋品店の看板に男と女がいつから暮らす
・ころがしておきし菊人形義仲の首は十日ののちもなくならぬ
・ころばせばころげゆくから桃は切なげになる獰猛になる
・ガンと言えば人は黙りぬだまらせるために言いしにあらず 『火ダルマ』
・電池はなくなる前に一瞬だがぼうと灯ることあり
・わが体なくなるときにこの眼鏡はどこに置かれるのだろう
・吊り革がつかまらないと呟けばとなりの人もうなずきにけり
・中将湯はのみしことなしバスクリンは少しなめしことあり あはは
・死ぬまでは収まりがたし手足ばらばらかかえてねむる
・はずじゃしきかたちに見えたりしかし発掘の骨はばらばらである
・蛇口に顔を持ってゆき洗えば祖父そして父のすがたに似たりと
・全身火ダルマの人を想定して宮城前のくんれんである
・太陽のひかりあびてもわたくしは まだくらやみに立ちつくすなり

  笑ひそうでかなしくなるか晩年の髙瀨一誌の自由なる歌

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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