昨日の夜、風呂に菖蒲をいれるのを亡失。それこそ六日のあやめである。新しい歌集の掉尾をかざるのが「六日のあやめ」だから、まあいいか。
中庭のけやき樹ことしはたくさんの若葉繁らせ生き延びたるか
枯れきった幹からも若きみどり葉を伸ばしてわれら生きているのだ
歩みゆくにけやきの葉々の影を踏むその影濃くなることしの欅
『論語』述而一九 孔子が言った。「我は生まれながらにしてこれを知る者に非ず。古へを好み、敏にしてこれを求めたる者なり。」
古へを愛してこれを求めたるそれだけの者生まれながらに
『正徹物語』127 法楽(神仏を悦ばせる和歌連歌を奉じたり、芸能を演ずる)のために百首を詠みました。どちらの法楽でしたでしょうか、神を慮って題を書くようにとのことであった。理由は不吉な先例があり、題を悪く出したので、人に非難された。
法楽の百首読み終へずに帝死す不吉なりけり時案ずべし
『伊勢物語』七十七段 田邑の帝(文徳天皇)の女御、多賀幾子という方が亡くなった。安祥寺で法要をした。人々は捧げものをした。たくさんの捧げものであった。木の枝に結び付け、堂の前に建てた所は、さながら山のようであった。
法要の説法が終るころ、右大将藤原常行(死んだ多賀幾子の兄弟)が、歌を詠む人を集め、法要を題として、春の心ばえのある歌を詠んで、堂に奉らせた。右の馬頭であった翁(業平)は、老いの目のためか、捧げものがほとうの山と見間違えたまま、詠んだ。
・山のみなうつりて今日にあふことは春のわかれをとふとなるべし
今見れば、よくもあらざりけり。その時は、すぐれた歌としてもてはやされた。
だいたいは業平翁の勘違ひ山にはあらず捧げものあまた