端午の節供だ。リハビリで画いた塗絵(兜と鯉のぼり図)を息子たちの子どもへ贈るものの、おそらく着くのは明日以降。六日のあやめどころか七日のあやめになりそうだが。
花ひらく皐月つつじの花の垣沿ひつつ歩むに老いはよろける
空高くめぐりて降りる鳩の群れぽぽぽぽぽぽと鳴きつつ歩く
蹴飛ばすやうに鳩の群らがる所ゆく平気で声あぐ憎らしいほど
『論語』述而一八 葉公(楚の葉県の長官)が孔子のことを子路に問うた。子路こたへず。「お前はどうして言わなかったのか。「其の人と為りや、憤りを発して食を忘れ、楽しみて憂ひを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみ」
子路から見ても、まあ、人物として楚公はダメだということですね。
楚の国の葉県の長が子路に問ふ。子路は無言なり人物わるし
『正徹物語』126 「まし水」は、ただの清水である。本当の清水の意である。」
「増水」と誤解があるからだろう。作例として、
・涼しさはまし水あさみさざれ石もながるる月の有明の声 草根集3239
ましみづは真清水の意なり決して増水にあらず間違ふ勿れ
『伊勢物語』七十六段 二条の后が、まだ東宮の御息所と呼ばれていた頃。氏神に参詣の折、御息所は、お供に禄物を与えた。近衛府につかえていた翁にも、車から、じかに禄物を与えた。
男は、歌を詠んで献上した。
・大原や小塩の山も今日こそは神代のことも思ひ出づらめ
男もまた昔日に思いをはせたのだろうか。彼の心を、誰が知ろうか。
なかなかに逢うことできず翁になる業平のこと誰か知るらむ