2024年5月1日(水)

メーデーだ。メーデーの会場へ行ったのはいつだっただろうか。天気はよかったものだが、今日は曇り、やがて雨になるらしい。

  メーデーに行く時はいつも快晴で日比谷野音は溢れをり

  なんとなく時の節目にゐるごとく東京駅まで叫びつつ歩く

  人の後に従ひ歩く手作りのプラカードなどに意思表示して

『論語』述而一五 孔子が言う。「疏食をくらひ水を飲み、肘を曲げてこれを枕とす。

「楽しみはやはりそこにあるものだ。」道ならぬことで富、身分が高くなるのは、私にとっては浮草のように実のない無縁なものだ。

  疏食(そし)にして水のみ肘を枕にすわがたのしみはこの内にあり

『正徹物語』123 無心所着の歌は、一句一句違うことを言った歌だ。万葉集に
・我が恋は障子の引手峰の松火打袋の鶯のこゑ
・我がせこがうさぎのをのつぶれ石ことゐの牛のくらの上のかさ
・法師等がひげのそりくひむまつなぐいたくな引きそ仰ながらも

  ナンセンスなる歌いくつもある宴はいつの世にもさかんなり

『伊勢物語』七十三段 男は、遠い女を思っていた。生きている事だけはわっているが、便りすることさえ、かなわぬ女だ。
・目には見て手にはとられぬ月のうちの桂のごとき君にぞありける

  目には見て手にはとられぬわが恋のくるしきばかり月あかりくる

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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