2024年4月29日(月)

今日は、昔の天皇誕生日。昭和天皇の生まれた日である。父の死の日から、そう遠くない。今日は晴れだが、昼頃から曇り。やがて明日につづけて雨になるらしい。

  昭和天皇の誕生記念日に近くして父死せり殉死の思ひあるべし

  平成の天皇即位し父の生くる意義失ふか四か月後の死は

  午後からは雲の世界になるらしき鬱陶しきは父の死にある

『論語』述而一三 孔子は、斉の国で韶(舜がつくったといわれる音楽)を数カ月のいだ聞いた。肉の美味さも知らなかった。思いもよらなかった、音楽というものがこれほどすばらしいとは。

  韶を聴きそのうつくしさに感嘆する孔子よ楽なすすばらしきこと

『正徹物語』121 当座歌会では、若輩であれば、短冊を書くことは遅く、出すことは一番にする。老若居並んで、年長者がはじめに墨をつけて書き順に硯を押して渡していく。末座は最後に書く。しかし短冊を題者のもとへは一番早くする。どんなに歌が早く出来たとしても、年長者の書くより前に若輩は書かない。心得ておくべきことだ。年長者は長々と思案に耽るのもよい。しかし末座の若輩であれば、長々と案じて遅れて出すことは、無礼千万である。昨今ように面々が折紙を手に持って見せるとは、以前には無かった。隣同志の親しい仲間ならば、互いに「ここはこんな風には詠めないから」などと批判を求める。当座といっても慌ただしく落ち着かない。

  当座歌会にも仕来りがある若輩には物忩に見ぐるしきなり

『伊勢物語』七十一段 男が伊勢の斎宮に、帝の使者として参じた時、斎宮の御殿につかえる女房が、色ごころある物言いする。女房はひそかに、こう詠んできた。
・ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし大宮人の見まくほしさに

男は詠んだ。
・恋しくは来ても見よかしちはやぶる神のいさむる道ならなくに

  神すらも味方につけて愛すべき女子(をみな)か あれば垣も越えなむ

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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